風雲急を告げるニューヨーク商業用不動産市場

こんにちは
アメリカ中で急激な金利上昇によって商業用不動産(CRE)市場が大荒れに荒れています。

ニューヨーク市中心部のマンハッタンで賃貸オフィスを経営している企業からは、「もうニューヨークはオフィス賃貸業者にとって安全な市場ではなくなった。一刻でも早く出ていくべきだ」という悲痛な声さえ上がっています。

いったいどうしてニューヨークの賃貸オフィスビル経営者たちはそこまで追い詰められたと感じているのでしょうか。

今日はこの話題を取り上げて、さまざまな角度から検討しようと思います。

関が原となるか、280 パークアベニュー ビル

債務延滞や不履行、債権の金融機関から回収会社への移転といった事態は、まさに枚挙にいとまないほど続出しています。

そんな中で、特別な注目を集めているケースが280 パークアベニュー ビルです。マンハッタンでも一等地中の一等地、ミッドタウンのパークアベニュー沿いにあって、かなり敷地の広い中層ビルの上にちょっとあいだを開けて高層部分が2本建っている独特な構造のビルです。




竣工は1968年と古いのですが、2015年に大改装して内部の設備や調度は新しく、冬の時代を迎えたオフィス市況にもめげず、ぎりぎり90%台の入居率を守り抜いています。

ヴォナードとSLグリーンというニューヨークのビル賃貸業者では大手2社が、50%ずつの持ち分で共同所有しています。

おそらくは資金効率の改善を狙ってのことだと思いますが、大改修直後の2016年にオーナー2社が持ち分をほぼ全額、ドイツ銀行を主幹事とする1物件1借り手型の商業用不動産担保証券に切り替えていました。

その償還期限が去年の9月だったのですが、オーナーは元利を返済することができず、現在この債券はドイツ銀行から回収会社に渡っています。現況を楽観論、悲観論それぞれの立場からまとめれば、以下のとおりになります。



具体的に今オーナーが取れる選択肢は、以下の3つに絞られるでしょう。


最初に、オフィス賃貸業者として、現在の市況と経済・金融環境だけを考えた場合どんな結論が出てくるか考えてみましょう。

1の「自己資本を削って返済する」はまずアウトです。もしそれをするつもりなら去年の9月、まだ債権が回収会社に移行しないうちにやっていたでしょう。実現する確率は5%未満とと考えていいと思います。

2の「担保権を行使してもらって手を引く」はどうでしょうか。これから検討していくオフィス市況と金融条件だけを考えると、この選択肢はかなり実現性が高そうに見えます。

ただ、オーナー2社がどちらもニューヨークのオフィスビル賃貸では大手であるだけに、「あのオーナーがあっさり手放してしまうのか」と思われると、自分でいちばん大事なマーケットの信頼性を低めてしまうという難点があります。実現性は25~30%でしょうか。

ということになると、なんとなくずるずるべったりで退嬰的な感じがありますが、条件を再交渉して借り換えるという平凡な解決策が65~70%となりそうです。

このあまり新鮮味のない選択肢が選ばれそうな理由を、ニューヨークオフィス市場の現況から探っていきましょう。

償還期限の壁にぶち当たるCRE債務延滞の大波

まず、今年から2028年まで商業用不動産(CRE)融資や不動産担保証券の償還期限がくる金額が一貫して大きいという事実があります。次のグラフの下段のほうからご覧ください。


この下段だけを見ていると、2023年からすでにかなり高かったものが2027年までじり高基調で、2028年になってやっと一息つける……そんな印象を受けます。

しかし、上段をご覧ください。金融業界にとって不動産融資だけなら何とかなりそうですが、同時にあらゆる業界の企業が発行している投資適格債からジャンク債までが軒並み償還期限ラッシュを迎えるのです。

今年の第2四半期(4~6月)に初めて3ヵ月で2500億ドル、1年で1兆ドルペースの大台に乗せます。今年は、他の3四半期があまり多くないのですが、2025~28年はほぼ一貫して四半期ごとに2500億ドルを超え、1年では当然1兆ドルを突破します。

こういう時期にひんぱんに不動産融資の担保流れが起きて、融資金額を回収できないうえに自分で運用したり買い手を探したりしなければならなくなったら、金融機関は大困りでしょう。

ですから、年季の入った賃貸業者が相手なら、多少のヘアカット(元本減額)金利で妥協をしてでも、そのまま運営してもらって少々遅くなってもきちんと約定どおりの返済に漕ぎつけるほうがいいに決まっています。

ただ、担保物件の収益見込みや借り手の運用実績はかなりきびしく調べるでしょう。CRE向け融資の延滞率は一般的には低めだけれども、上がるときには急激に上がるという特徴があり、そのへんで運営業者の巧拙がかなりはっきり出るからです。


アメリカ国内のサブプライムローンバブル崩壊に端を発して、国際金融危機に広がった2007~09年の例でも、2007年まで低めで推移していた延滞債務残高は、2008年に一挙に前年同期比150%増という激増となり、2013年頃まで高水準が続きました。

中でもオフィスビル担保とした不動産担保証券は、2008年末まで延滞率が0.5%程度にとどまっていたのに、2011年末から2013年半ばまでの約1年半、2ケタ水準を維持していたのです。次の2段組グラフの上段でご覧いただけるとおりです。


下段に眼を転じると、今回のオフィス不況は国際金融危機時よりはるかに怖いことがかります。

国際金融危機の頃金利が全体として高めだったため、金利がそこから2~3パーセンテージポイント上がっても、上昇率で見ればあまり高くなかったのですが、今回は超低金利からの金利上昇なので、上昇率がすさまじく高いことです。

いちばん右側のオフィスビルのキャップレート(取引時の想定利回り)を例にとると、たった3年で67%も上がっています。

100万ドルで購入したビルが安定して4万2000ドルの賃貸料収益を稼いでいるとしても、このビルを7.1%のキャップレートで売るためには、59万ドルに値下げしなければならないということです。

なぜこれほどキャップレートが上がってしまったかと言えば、2022年春からの連邦準備制度(Fed)による連続利上げで、ほぼノーリスクで金利の稼げる米国短期債マネーマーケットファンドなどの利回りが急上昇し、対抗上不動産物件も高い利回りを出せなければ売れないからです。

順調に賃貸収益を稼ぎつづけているビルでここまで取引価格が下がるのですから、賃貸収益が下落したビルは目も当てられないほど取引価格が下がります。そして、賃貸収益が下落する要因は、まさに枚挙にいとまないほど積み上がっているのです。

山積するオフィスビル収益下落要因

まず、テナントの退去や床面積縮減が増えて、「即時入居可能床面積(ようするに空き室です)」が激増しています。


明らかに異常なブームを謳歌していたサンフランシスコでは、2019年の第1四半期には8%だった空室率が2023年第4四半期には37%まで上がっています。

ニューヨークはアメリカの大都市オフィス市場としては堅実にテナントをつなぎとめることに成功しているほうですが、それでも2019年第1四半期の11%から2023年第4四半期の19%まで空室が増えています。

さらに、先ほどご説明したとおり、Fedの連続利上げで金利一般が上昇しているため、運用にさまざまなリスクのある不動産物件の売却価格が急落しています。


やはり、この間金利一般の上昇率が高かったアメリカの大都市に建っているオフィスビルの売却価格の下落幅が大きくなっています。比較的うまくテナントをつなぎとめているマンハッタンでも、売却価格の下落率は15%を超えています。

そして、売却価格が下がること自体が、賃貸収益減少要因になります。ふつうの景況なら「こんなに賃貸収益が下がるのなら、いっそ売り払ってしまおう」と思うようなオーナーでも、売り値が低いのでさらに賃料を下げてでも経営を持続するほうが得だと判断するからです。

そして商業用不動産向け融資の物件種類別の延滞率推移を見ると、2020年春の第1次コロナ騒動の頃延滞が激増した小売や宿泊・娯楽施設などがその後急回復しているのに比べて、オフィスビル向けの融資は、むしろ最近になってじりじり延滞が増えていることに気づきます。


大きな理由として大企業テナントが長期契約で入居している床面積比率が高い大都市のオフィスビルは、不景気や突発要因による入居率の低下が長期契約の更改時期までずれ込む傾向があることです。

しかし、今回はもうひとつ景気サイクルの上下を貫いて、オフィス床需要が長期的に低下するのではないかと示唆する新しい要因が加わっています。

それは企業テナントが入居しているオフィスでの従業員の職場復帰率が延々と低水準にとどまっていることです。次の2段組グラフをご覧ください。


まず職場復帰率とは何かをご説明しましょう。オフィス入居率ではなく、特定のオフィスビルに入居しているテナント企業の従業員が毎日どれくらい入館証を使って出入りしているかを調べ、その数字をコロナ騒動直前の2020年2月の水準と比べた数値です。

上段を見ると、全市ロックダウンなどという極端な対策を講じた自治体もかなりあった2020年春は復帰率が軒並み1ケタから10%台とすさまじい低水準でしたが、その後2022年末ぐらいまではじりじり50%前後に上がってきました

ところが、2023年を通じて50%を上限としてほぼ横ばいという状態になってしまったのです。

これが何を意味しているかというと、おそらく経営側から「週に何日は在宅勤務でもいい」といった指示が出ているかどうかにかかわらず、自主的に出勤を週3日にしたり4日にしたりする人たちがテナント各社の従業員の過半数を占めているだろうということです。

下段の曜日ごとの平均復帰率の落差も、この推測の正しさを証明していると思います。10大オフィス圏すべて、職場復帰率がいちばん高いのは火曜日で、いちばん低いのは金曜日でした。

つまりほとんどの従業員が金曜日は出社せず、少なくとも出勤4日制にしていて、そのうちかなりの人たちは月曜も出勤せずに出勤3日制にしている。さすがに火曜日にはたいていの人が出社するので、火曜日がいちばん職場復帰率が高いのでしょう。

在宅勤務の増加出勤・帰宅時間のロスや移動のストレスがなくなって生産性も上がるから、ずっとこのままで差し支えない」との声もありますが、ほんとうにそうでしょうか。

仮にほとんどの業務を個人プレーでこなせるような仕事だったとしても、企業側としては「オンザジョブ・ノーハウの後輩への伝達まで含めて業績考課の対象にしているのに、それがうまくいかず困っている」ということも多いのではないしょうか。

実際に出勤する従業員の数が半減しても生産性は下がらずまったく問題ないと考えている企業でも、オンザジョブ・ノーハウの散逸に困っている企業でも、次の賃借契約更新のときの出方はほぼ同一で、賃貸面積の縮減でしょう。

つまり、今後かなり長期にわたってアメリカのオフィスビル市況床面積需要の激減に引きずられて悪化しつづけるだろうということです。そして、この市況悪化の被害が最も大きく出るのは、借金のギアリングを高水準に維持して経営してきた賃貸業者です。


ご覧のとおり、アメリカ全土の商業不動産の総資産価値は2021年半ばのピークから昨年秋までで22%減少しただけですが、その総資産の55%は債務で維持していたのです。

債務は物件価値の収縮と一緒に減少してくれないので、総資産価値が22%減っただけで自己資本の価値はマイナス49%と半減してしまったのです。

冒頭の3つの選択肢に話を戻しましょう。これほどきびしい景況になると、貸し手としては安全第一志向が高まります。

好立地の物件を運用経験が長い賃貸企業が持っている場合、担保権を行使して厄介なお荷物をしょいこむより融資条件をかなり緩和してでもその企業が長期にわたって債務を返済し続けてくれることを期待するほうが現実的との判断に傾くでしょう。

だからこそ、融資条件を緩和して借り換えという道を選ぶべきだという結論が出ていたわけです。

トランプ巨額罰金判決の意味

しかし、私はニューヨーク州最高裁のアーサー・エンゴロン判事が、ひたすら「トランプを破綻させるためにできるだけ巨額の罰金判決を出す」と開廷以前から心に決めていたような訴訟指揮をして、結局3億5000万ドルを超える罰金刑を言い渡したことで事態は一変したと考えています。

この件では、異常事態が続出しました。まず、正邪を決する刑事訴訟ではなく、妥協点を見出す民事訴訟で「トランプが自社資産の担保価値を多少多めに算定して銀行融資を取り付けたことが犯罪要件を構成する」という主張が、まったくの無理筋です。

しかも、銀行はやや担保価値を低く査定して融資を実行して、その融資はきちんと元利返済を受けているので、だれひとり被害を受けたわけではありません




しかも、これを強引に立件したニューヨーク州のレティーシャ・ジェームズ検事総長は、訴訟が始まる前から堂々と「エンゴロン判事は私の味方だから、トランプに有罪判決を下すに決まっている」と公言していたのです。

ほんの少しでも裁判の公正さを尊重する判事なら、この段階でもう「告発者を変えなければ訴訟を始められない」と宣言すべき原告側の逸脱行為です。

ところが、エンゴロン判事は原告側の主張をほぼ丸呑みし、被告側には訊問に答える権利すら与えないというでたらめな訴訟指揮をした末に、トランプ憎しの感情だけに突き動かされた審理をして、当人は喜びを隠しきれずに笑いながら判決を下したのです。

おそらく一流大学のロー・スクールを優秀な成績で卒業した人なのでしょうが、自分の判決がどれほど多くのニューヨークで仕事をする企業家たちに恐怖を与えたかなどはまったくわからない、愚鈍な人なのでしょう。

おまけに慌ててダメージコントロールにしゃしゃり出てきたニューヨーク州のキャシー・ホウクル知事は「ビジネスマンの方々、ご自分も巨額の罰金を払わされるかもしれないと怯える必要はまったくありません。ニューヨーク州でビジネスをしてはいけないのは、トランプのような悪党だけですから」と言って火に油を注ぐ始末です。

司法権力や行政権力を握っている人たちのお気に召さなければ、身代が吹っ飛ぶほどの罰金を科されたり、何年か事業経営をできないという罰を受けるところで健全な企業活動が成立するわけがないことがまったくわかっていないようです。

これは、ニューヨークが世界最大級のオフィス市場として生き延びられるか、それとも脱落していくかを決する重大な試練です。

不動産・経済・金融環境だけを見れば、再交渉して借り換えで運用持続が正解の280 パークアベニュー ビルについても、政治・司法が結託した弾圧がまかり通る市場になってしまっていることを考えれば、潔く運用から手を引いて担保権を行使してもらうのが、正解だと思います。

読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想やご質問はコメント欄かTwitter@etsusukemasuda2 にお寄せ頂ければ幸いです。 Foomii→増田悦佐の世界情勢を読む YouTube→増田悦佐のYouTubeチャンネル

コメント

スイーツ さんの投稿…
増田先生、今回のブログ記事は経済問題を通り越して、法治国家とはどうあるべきか?という深淵なる問いかけを発した素晴らしいものだと思います。

御存知だとは思いますが、日本の裁判の多くは心証裁判です。裁判官の結構多くが個人的感情で物事を裁き、しかも自分が全能だと勘違いしています。

また、第2次安倍政権から三権分立の原則も崩壊しています。法律の限界はあるにしろ、法治主義を尊重することを我々は重視すべきです。そうでなければ、北朝鮮みたいになってしまいます。
不動産鑑定士 髙橋 雄三 さんのコメント…
今回のブログは収益物件の投資採算性を考える上で、大変参考になりました。

不動産鑑定士として実務経験を積み、実際のノウハウを取得するために、3年前から福島市の中心部にある3F約700㎡のオフィスビルを取得し運営しています。

概算で、月額賃料(家賃)の100倍以内で取得して、賃料収入が10~15年確実だという物件が取得できれば、収益物件としては採算ラインにあうと考えています。

この条件で取得できるのは、50万人の経済圏で、年間10件が市場に出てくるとして、2~3件です。

100万ドルで購入したビル…の例でいえば、月額賃料3,500ドルですから、35万ドルが収益物件としての採算ラインにあうことになります。

59万ドルに値下げ…とありますが、35万ドルまで値下げとなるのではないでしょうか。

100倍ルールは、友人の不動産鑑定士が35年ほど前に米国不動産業界の視察ツアーで学んだノウハウです。

増田先生の調査能力・分析能力に改めて敬意を表します。

不動産鑑定士 髙橋 雄三

追伸:
今後、在宅勤務・テレワークが普及した場合、オフィスビルは100倍ルールではなく、50~70倍ルールで対応する必要が生ずる時代になるのかもしれません。
増田悦佐 さんの投稿…
スイーツ様:
大変うれしいお褒めの言葉、ありがとうございます。
あら探しはいくらでもできますが、法律が規範として機能しなくなってしまうよりは、なんとか守っていかなければならないと思います。
日本もさることながら、私がほんとうに懸念しているのはアメリカです。もはや法治国家ではなく、自分たちに都合のいい勢力の犯罪行為は放置される放置国家となり果て、いつ無法国家に変わってもおかしくない状況です。
世界最大の経済を擁し、最強かどうかはともかくトップ3に入る軍事力を持つ国が無法国家になってしまったら、いったい何が起きるのか、考えるだけで憂うつになります。
増田悦佐 さんの投稿…
高橋雄三様:
いつもご厚意溢れるコメント、ありがとうございます。
私は「在宅勤務可」というのは冗員をふるいにかける誘いの隙で、情報産業・ハイテク大手などで業績好調でも人員削減が多くなっているのは、在宅のままいつのまにか人員整理の対象になっていたというオフィスワーカーが多いからではないかと思っています。
ますます低めの賃料収入を前提にオフィスビルの採算点を見極めなければいけないという結論は同じですが。