歌はヴァースから その6 Dinah

こんにちは
このところ、政治、経済、社会どれをとっても民主党リベラル派が支配しているニューヨーク州などの北東部やカリフォルニア州よりまともな印象のある南部への移住者が増えているとのことで、典型的な南部を謳歌する<Dinah>について書いてみようと思います。

前回は1930年代大不況のさ中に作詞作曲された社会派のヒットソング、<Brother, Can You Spare a Dime>を取り上げたので、今回は肩の凝らない他愛のないラブソングにしてみました。(前回はこちら)

それでは早速ヴァースから

Carolina, gave me Dinah,
I'm the proudest one
Beneath the Dixie sun.

カロライナがぼくにダイナをくれたんだ、
デキシーランドの明るい陽射しのもとで
ぼくは鼻高々さ。

News is spreadin'
’Bout our weddin',
I hear church bells ringin';
Here's the song my heart keeps singin'.

ぼくらが結婚するって話が
あちこちに伝わってる、
教会の鐘の音さえ聞こえてくる;
これがぼくの心が歌いつづけてる歌なのさ。

これだけでおしまいの短いヴァースですが、ふだんはけたたましい「バンジョーのように大きな目玉(Banjo Eyes)」のカンターこと、エディ・カンターがスローテンポで朗々と歌うと、あくびが出てきそうなのんびり牧歌的な風景が浮かんできます。



で、コーラスに入ると、とたんにアップテンポになります。その転換のみごとさをお聴きになりたければ、ぜひこのYouTube映像で。

Dinah,
Is there anyone finer
In the state of Carolina?
If there is  'n you know her,
Show her!

ダイナ、
カロライナの国中探しても、
ダイナよりすてきな娘がいるかい?
いてて知ってたら、
見せてくれよ!

Dinah, 
With her Dixie eyes blazin',
How I love to sit and gaze in
To the eyes of Dinah Lee!

ダイナ、
あの輝くデキシー育ちの瞳を
ずっと坐って見つめていられたら、
ダイナ・リーの瞳さ!

Yet, every night,
My, how I shake with freight,
Because my Dinah might,
Change her mind about me!

でも、夜ごと、
ぼくは恐れに震えるんだ、
だって、もしぼくのダイナが心変わり
しちゃったらって思うとね!

But if Dinah,
Ever wandered to China,
I would hop an ocean liner,
Just to be with Dinah Lee!

もしダイナが、
ふらっと中国まで行っちゃったら、
外洋航路の客船に飛び乗って行くさ、
ぼくのダイナと一緒にいられるように!

なんとまあ、他愛がないにもほどがあるとお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。ですが、この<ダイナ>ふたりのアーティストをスターダムにのし上がらせた珍しい楽曲です。

ふたりのスターを創りだした楽曲、ダイナ

ひとりのアーティストの人生を変えた楽曲との出逢いというのはよくある話ですが、まったく別の演目に採用された同じ曲がふたりのレヴューの人気者をジャンルを超えた大スターにしたのは、たぶん<ダイナ>ぐらいのものだろうと思います。

レヴューとは歌と踊り中心で寸劇を挟み、ショー全体を貫くストーリーラインはない舞台形式で、昔は日本にも日劇ダンシングチームというすばらしいレヴュー劇団があったのですが、最近は宝塚少女歌劇団が上演権を独占してしまったような状態なのは寂しいです。

エディ・カンター主演のレヴュー『山羊皮のブーツ』の挿入歌になったのが1923年で、もうひとり、エセル・ウォーターズのレヴュー『ブラック・スワン』に採用されたのが1925年のことでした。


右が「サヤインゲンおっかさん」と呼ばれていた若いころのしなやかな体つきのエセル・ウォーターズ、左は後年貫録ある体型になってハリウッド映画で渋い脇役をしていた頃の同一人物です。

彼女は、19世紀末から20世紀初頭にかけて黒人女性が立ち向かった幾多の困難を象徴するような生い立ちの人です。まだ13歳だった母親がナイフを喉に押しつけられてレイプされたために生まれたのですが、母親は子どもを育てられずに失踪し祖母に育てられたそうです。

祖母といってもおそらく30代か40代、当時その年齢層の黒人女性は一家の大黒柱として働いていたはずです。ということで「幼い頃からだれにもかまってもらえず、自分の食い扶持はなんとか自分で稼がなければならないという生活をしていた」と回想しています。

エセル・ウォーターズは、エディ・カンターと違ってコーラスに入っても緩やかなテンポを崩さず、最後までスローバラードのように歌っています。これは下手なシンガーだとどこかでボロが出るか、聴衆を退屈させかねない危険な賭けです。

聴き比べをお望みでしたら、このYouTube映像でどうぞ。

新人らしからぬ堂々たる歌いっぷりも大いに貢献して、当時のエセル・ウォーターズはブロードウェイ中でいちばん興行成績の上がるレヴュースターになりました。黒人ばかりのレヴューは劇場も舞台装置も粗末で入場券も安かったはずなので、これは大変な偉業です。

ただ、やはり当時の興行界は圧倒的に北部中心で、レヴューやミュージカルを目指すアーティストならニューヨーク、ジャズやブルースで勝負したければシカゴに行くのがおきまりのコースでした。

経済成長も人口増も南部がリードする時代に

ところが、コロナ危機が招いた数々の変化の中で、今や高成長を続ける南部6州がニューヨークを中心にニューイングランドからワシントン市のあるコロンビア特別区まで、東海岸北半分に位置する11州プラスDCよりアメリカのGDPに占める比率が高くなってしまったのです。


上段がその比率推移を示したグラフですが、民主党の知事や市長が多いニューヨーク・ニューイングランドではロックダウンを強行したり、ワクチン接種を義務付けたりして、明らかに経済力を弱め、人口脱出を促進してしまった形跡がうかがえます。

一方、どちらかと言えば共和党系の知事や市長の多い南部諸州では、こうして脱出してきた人たちを迎え入れて経済成長率だけではなく、人口増加率も突出した地域が多くなっています。

この対照は、移住してきた人たちがもたらした南部諸都市の税収増と、脱出した人たちが持って行ってしまった北部諸都市の税収減からも、鮮明に読み取ることができます。

まず、南部諸都市の税収増から見ていきましょう。


ここで取り上げた4都市の中では新住民からの税収がいちばん多いフロリダ州マイアミ市でも2021年でやっと170億ドル程度いちばん少ない同州ジャクソンビルではわずか20億ドル程度だということを確認しておきましょう。

一方、どんどん住民が逃げ出している北東部諸都市は、かなり失った税収が巨額になっています。


ちなみに、カリフォルニア州はアメリカ合衆国地続き48州の中では西南の端に位置していますが、北東部対南部という文脈では北東部の一部と見なすことが多くなります。

アメリカにおける北東部対南部の対立は地理より、政治・経済・社会を貫くライフスタイルや世界観の問題です。北東部より一層リベラル色の強い民主党知事や市長を大勢輩出しているカリフォルニア州は、ニューヨークやニューイングランド以上に北東部的なのです。

こちらは減収税額が最大のニューヨーク市は約600億ドル、シカゴ市が約250億ドル、ロサンゼルス市が約140億ドル、最小のワシントン市でも約70億ドルと、南部で税収増が大きかった4都市よりはるかに巨額の税収減に見舞われています。

北東部からの移住者は南部の中小都市や郊外に逃げている

この食い違いを惹き起こした理由の一端は、南部にはそもそもあまり大きな都市がないので、北部大都市から南部への移住者たちは、必要に迫られてもっと小さな数多くの都市に分散して住むことです。

ただ、それだけではありません。北部から逃げ出す人の多くが大都市近郊のエネルギー浪費度の高さに音を上げて、もっとこぢんまりした都市でエネルギーをあまり浪費しないで済む暮らしを目指しているという事情もあります。


私は二酸化炭素が公害源とは思いませんが、できるかぎりエネルギー消費量はなるべく少なく抑えながら快適に暮らしたいと願っています。その観点からすると、アメリカで1世帯当たり年間46.5トンもの二酸化炭素を排出しているのは、明らかにエネルギー過剰消費です。

住み手やテナントがいようといまいと全館冷房をしている大型オフィスビルや高層マンション夏の盛りに閉め切って肌寒いほど冷房を効かせてクルマを走らせるといったことが、とくに大都市とその郊外の夏を不快なものにしています。

それがとりわけ顕著なのが、上の地図グラフでもご確認いただける、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス近郊の二酸化炭素排出量の多さです。郊外から都心部のオフィスや大学などに通うドライバーたちが、この莫大な二酸化炭素排出量の元凶なのです。

こぢんまりとまとまった南部の小都市中心部に住んで、職住・学住接近を実現すれば「地球温暖化なるものの正体が、じつは自分たちが冷房を効かせたクルマで道端にまき散らしている廃熱だった」とわかるのではないでしょうか。

税制・物価も小都市住まいを有利にしている

ここでちょっと変わった表をご覧いただきましょう。アメリカ中で76の都市圏のうち、税引き前年収がいくらあれば、年収10万ドルの実感を抱くことができるかを調べて、ワースト15とベスト15を比較したものです。


カリフォルニア州の都市が6つも混じっているワースト15では、税引き前年収が10万ドルの1.8~3.1倍ないと、地方税率が高く、物価も高いので、税引き後の年収で10万ドルを稼いでいるという実感は得られません

一方、テキサス州から7都市も入っているベスト15では、だいたい10万ドルの1.2~1.3倍の税引き前年収を稼いでいれば、10万ドルの所得があるという実感を得られます

アメリカは先進諸国の中ではまだ、純然たる地方に住んでいる人や郊外(suburbs)のそのまた外側のエックスバーブと呼ばれる地域に住んでいる人の多い国です。地方やエックスバーブに住んでいる人たちの税率とか物価水準とかは、都市部に比べれば低いはずです。

そういう国で都市の利便性を備えていながら、2~3割多めに稼げば10万ドルを稼いだ気になれる都市に住めるものなら、そちらに住もうと考える人が多くなるのは当然でしょう。

いいことばかりではない南部小都市暮らし

ただ、南部小都市暮らしにも難点はあります。私などが考えると都市の利便性のうちでも最大の柱と言うべき公共交通網が、アトランタなどごく少数の例外をのぞけばほぼ壊滅状態のままだということです。

次の2枚組グラフの上段に、アメリカ全土でいかに公共交通網が貧弱かが如実に表れています。


とくにご注目いただきたいのは、アメリカ中で公共交通網の存在する都市を全部合わせても、コロナ前の2019年でさえ月間平均乗客数は約60万人、日割りにするとたった2万人程度だったという事実です。

コロナ禍で感染を怖がって地下鉄や市外電車に乗る人が激減してからもう3年も経っているのに、乗客数は2019年平均値の半分よりやや上程度にとどまっています。

下段のグラフは、オフィスビルが契約上は満杯に近い稼動をしていても、実際にオフィスに出て働く人たちは半分前後しか戻っていないことを示しています。

上下ふたつのデータを考え合わせると、現在公共交通機関を利用しているのは、他の交通手段も持たず、移住することもできない貧困層の人々ばかりになってしまったのではないかと気がかりです。

ある程度の年収を得ていた人たちは、コロナ後もかなり多くの勤務を在宅でこなせるようになっているとか、北東部大都市共通のワクチン強制や治安の悪化に嫌気がさして、南部の小都市に移住してしまったとかで、半永久的に戻ってこないのではないでしょうか。

北東部大都市圏のインフラ劣化が加速している

そういう危惧を抱き始めた矢先の今年の6月中旬、北東部有数の大都市フィラデルフィア近郊で大規模な高速道路陸橋崩落事故が起きました。


アイゼンハワー大統領の時代に急速に形成された州際高速道の全国ネットワークのうちでも、1957年に竣工したI-95は北のマサチューセッツ州ボストンから南のフロリダ州マイアミまで、大西洋岸主要都市を網羅する大動脈です。

この幹線中の幹線道路が、非常な高温だったとは言えトレーラータンク車1台分の化学薬品の爆発炎上による高熱でナタでぶった切ったように崩落したという事実は、いかに経年劣化が進んでいたかを物語っています。

おかげで、おそらく2~3ヵ月は客車の外側を洗い流しもしていなかったような郊外電車に乗客が戻ってきたそうです。こうした郊外電車が運行されているだけ運が良かったと言うべきなのでしょう。

それにしても、次の表を見るとアメリカ公共交通網のお粗末さにあきれます。


おそらくは、1日片道で6~8運行、往復合わせて20にも達しないような運行本数で、ラッシュ時以外はほとんど役に立たない運行状況なのでしょう。10キロ未満を乗り換え1回で行くのに2時間以上かかるのでは、ほんとうに歩いたほうがマシです。

一目で圧倒されるアメリカ公共交通の貧困

すでに地下鉄、市外電車、郊外電車といった鉄道が乗客にとって実用性のある交通手段でなくなっていることは、次の地図グラフが物語っているとおりです。


1年の半分近く極寒の冬が続くアラスカで徒歩通勤が多いのは、かなり昔から冬のあいだは在宅勤務でいいことになっているのかもしれません。

それにしても、公共交通機関が通勤手段の1位になっているのは、この地図ではケシ粒ほどの大きさしかないニューヨーク市マンハッタン周辺だけです。

どんどんやせ細る公共交通機関にしがみつくように大都市中心部で暮らしている貧しい人々は、今後どんどん移住する資金のある人が南部に移住してしまって公共交通機関の運行が廃止されたら、いったいどうやって生きていくのでしょうか

思い返せば、自動車中心の交通網への移行によって活気に満ちていた北東部の大都市が寂れはじめたのは、アメリカ車がドイツ車や日本車に追い落とされていった1970~80年代のことではありません

GMの副社長が「GMにとっていいことはアメリカにもいいことであり、アメリカにとっていいことはGMにとってもいいことだ」と豪語した1950年代末、州際高速道路網が建設に取りかかった頃のことなのです。


州際道路に市街地中心部を分断されたかつての大都市は、いっせいに寂れていきました

例外はマンハッタン住民の盛大な反対運動によって、五番街を州際高速道にしてあの狭いマンハッタン島の東西を分断する計画を、周囲を回るFDRドライブに変更させたニューヨークだけと言っても過言ではありません。

米国民の大半をカーレス社会化の悪夢が襲う

ここまでクルマ社会化が進んでしまったアメリカで小都市や郊外に住むにはクルマを持っていて、自分が選んだ時期に行きたいところに行く自由が不可欠です。

ところが、世界経済フォーラムは堂々と2050年と目標年限を切って国民の75%から私有自動車を取り上げると主張し始めました。


彼らの主張する徒歩15分圏内に生活利便施設が全部揃ったコンパクト都市の利点は、自動車を持っているけど日常の通勤・通学にはほとんど公共交通を使う日本の大都市では、自動車所有者の4分の3からクルマを取り上げるなどという強権的な手段抜きで実現しています

この提言の楽屋落ちなところは、共同研究スポンサーがクレジットカード2強の1社、ビザになっていることです。おそらく、あらゆる交通手段の決済を一手に握ることによって、手間いらずの手数料収入と膨大な金融情報を手に入れようという魂胆でしょう。

これもまた、日本ではスイカやパスモが、ほとんど商売っ気抜きかつ金融情報のヒモも付けずにやってくれていることです。

この2050年までの15分都市化計画が実現したら世界中が全面監視社会、完全統制経済になり果てることでしょう。

海外で生活したことのないアメリカ国民の大半は日本の公共交通網の利便性は想像を絶しているので、この危険に対抗すべき手段を持ち合わせていないかもしれません。

ですが、細々とでも公共交通機関が機能しているヨーロッパ都市の住民たちに、こんな専制国家にならずに、公共交通網と自動車私有との折り合いは付けられるという情報を発信するのは、日本国民の務めではないかと思います。



全面監視社会で統制経済を押しつけられていれば、どんなにきれいで便利に見える都市に住んでいても完全に行動の自由を失った籠の鳥に過ぎません。

そして、その籠の外にどんな田園風景と、どんなかつての大都市風景が展開されるかは、次の完全自動運転車の宣伝パンフレットのような本の図解にあるとおりです。


バンクを打って超高速走行向きに設計された道路を突っ走る完全自動運転車のまわりには細々と生き延びた樹木、廃車になった自分で運転するクルマ、そして野生化したウマが草を食べている、荒涼とした田園風景

サーカステントのようにきらびやかに飾った15分都市の高速道路1本隔てた反対側には、もっと住みやすいコロニーを見つけて一匹残らず蟻が退去してしまったあとの蟻の巣が地上に湧き出たように無残な姿をさらす、昔の自然発生的な都市

おとなしく自動運転車の意向どおりにたまの外出をする以外は15分都市に縮こまって生きないとこんなところにおっぽり出すぞという恫喝には、屈服したくないものです。


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コメント

スイーツ さんの投稿…
増田先生、恥ずかしながら僕は自動車免許を持っていません。しかし、強がりでも何でもなくそれで特別不自由と思ったことはありません。自動車は所有しているだけで税金は掛かるし駐車場とかガソリン代とか色々大変なように思えます。

もっとも、僕は大学は神奈川だったし地方に居ても県庁所在地だし、だから自動車が無くてもいいと思えるんだと思います。

中国のような全監視社会は怖いし阻止すべきですが、その気になったら徒歩で全て事足りる都市が魅力的であることも事実です。
precursor さんの投稿…
私も英国に居住していた時は自家用車で通勤していましたが、週末に鉄道を利用する機会が多くありました。 特に環状M25の内側では、Tubeも便利な公共交通手段として利用できますね。 日本における緻密な鉄道とは比べぶべくもありませんが、ズボラな鉄道運行が常識であるイタリア等の南欧よりは、遥かに実用性が高いとも感じていました。

一方、米国ではNJ州に居住していたので、私もI95を頻繁に利用していました。 NJ以北はボストンまで適度にメインテナンスされていましたが、ペンシルベニアからデラウェアにかけては、アスファルトでなくコンクリートの舗装面が多く、20年程前でも既に著しく老朽化していました。Inter State Highwayとは云え、米国内幹線道路は地元州の財政状況により補修状態が大きく異なると感じた記憶があります。

しかし日本でも、鉄道/バスが公共交通機関としての利便性を誇れるのは人口密集地域においてのみであり、過疎化の進む地方部では経済合理性によって公共交通機関を維持することさえ困難になりつつあります。 過度な自家用車の利用(個人主義)により一般国民の肥満が慢性的社会問題となってしまった米国では、大衆の怠惰な性向を修正することも困難であると思いますが、日本国内の社会的インフラの健全性/持続性を回復するためには、人口密集度を欧州のそれに近い水準まで適度に分散させることが肝要だと思いますが、如何?
現在は首都圏郊外での生活を楽しんでいる私も、週末には健康維持のために自転車に乗っています。 時折必要となるパンク修理も、加速しがちな生活のリズムを修正する機会であると自覚し、楽しんでいますけど。
増田悦佐 さんの投稿…
スイーツ様:
私もアメリカ留学中は他に移動の手段がないのでこわごわ免許を取り、クルマを運転しておりましたが、たいていの人は免許を取り自分で運転するようになると他人の運転が怖くなるというのに、私は自分の運転がいちばん怖いままで、日本に戻ってからは身分証明手段として以外は免許を使わず、つまり日本では一度もクルマを運転することなく過ごしてきました。
WEFが目標と掲げることはほとんど全部、まっとうな人間が考えたらとんでもないと即拒絶しそうなことが多いのですが、15分都市だけは自然に形成されたら天国のような利便性だと思うほど魅力的な構想であることが、厳重に警戒すべきところだと思います。
増田悦佐 さんの投稿…
precursor様:
コメントありがとうございます。
人口密度を低める方向に分散させるのは、対象となる人たちに利便性を諦めてもらう必要があるので、大きな経済的インセンティブを与えるとか、強制するとかの手段が必要となり、ほぼ確実に失敗すると思います。
田中角栄の日本列島改造論に始り、新産業都市など何度やっても、分散は実現しませんでした。
それよりは、地方でもある程度人口集積のあるところに集まっていただいて、レール・自動車走行道路兼用の軽便公共交通機関が運行できる程度の人口密度に高めて、その人たちが立ち退いた場所は自然の動植物にお返しするという方針がいいのではないかと思います。