これが、マーク・ザッカーバーグの征服したがっている世界

こんにちは

今日は、自分が創業したフェイスブック社のメタ・プラットフォームズ社への改名によってマーク・ザッカーバーグは何をしようとしているのかについて、ウェブマガジン『増田悦佐の世界情勢を読む』創刊準備号に書かせていただいた内容を、もう少し具体的に敷衍してみようと思います。

急激に取引額が膨らんでいる
メタヴァースの世界

創刊準備号では、ザッカーバーグの狙いは無数に存在するマルチヴァース(多元宇宙)で起きるさまざまな取引すべてを統括するメタヴァース(超宇宙)の高みから手数料収入を得ることだと指摘しました。

たとえばゲームの中に登場させる自分のアバター(分身)を自由にデザインしたいという願望がいかに大きいかを示すデータがあります。

これはどうすればゲーム世界をもっと居心地のよいものにできるかというアンケート調査の結果です。トップ10を見ただけでも、ゲームにどっぷり浸っている人たちの願望がかなりはっきりと見えてきます。

ゲーム世界の中の自分の家を趣味にあったインテリアにしたいとか、ペットを飼いたいとか、ゲーム世界に居たままで映画を見たり、買い物をしたいといった要望が並んでいるわけです。

その中でもとくに高い得点を得ているのが、自分の分身がどんな格好をしているのかを自分で選びたいという願望であり、ゲーマー同士でオリジナル商品の売買ができるようにしたいという願望です。

もし高額賞金を稼ぎつづけているゲーマーが、自分にふさわしい分身を著名なグラフィックデザイナーかイラストレーターに特注で創ってもらったとします。

その分身をほかのゲーム世界では、ほかのゲーマーに先に登録されてしまったりしたら、泣くに泣けないでしょう。

ひとつのゲーム世界に登録したら、ほかのあらゆるゲーム世界でもその分身の使用権は自分だけが独占するという仕組みにしてほしいと思っているでしょう。

しかし、複製をつくることが簡単なデジタル世界の中で、そういう仕組みを維持するためには相当強力な監視体制を築いておかなければなりません

こうしてありとあらゆる着想が花開いている多元宇宙のゲーム世界すべてに監視の目を光らせる超宇宙の総元締めが存在してほしいという要望が、ゲーマーたちの中から浮かび上がってくるというわけです。

ゲーム世界は玉石混交

2020年時点ではヴァーチャル・リアリティ(VR)やオーグメンテッド・リアリティ(AR)と呼ばれる仮想空間の中で消費される時間の内訳は、次の円グラフのとおりでした。


ゲームに費やされる時間は全体の22%で、オンライン・ビデオやソーシャル・メディアの26%ずつに比べて短かったわけです。

でも、熱心なゲーマーたちは、上の5分類すべてに加えて、現実世界での買い物までゲーム世界に居たままでやりたがっているわけです。これはかなり膨大な潜在市場と言えるでしょう。

そして、ゲーマーたちの創り出したオリジナル商品の売買は、ちょうどコロナ危機の第1波が欧米で荒れ狂った2020年第2四半期(4~6月)に急拡大しました。


このグラフにはふたつ注目すべき点があります。

ひとつは、新型コロナウイルス、コヴィッド-19の蔓延を防ぐためと称して欧米諸国で実施されたロックダウン(都市封鎖)が、サービス業から製造業へ、そしてサービス業の中でも観光地の地場産業として中小零細企業が運営していたアーケードゲームから、かなり寡占性の高いデジタル世界のゲームへと消費者需要を転換させたことです。

もうひとつは、このゲーマーが創り出したコンテンツの市場規模についてのデータを提供している企業のうさん臭さです。

ロブロックスは、レゴブロックで造ったような背景の前でレゴブロックで造った人形のようなアバターが動き回るゲームを運営していて、18歳以下、とりわけ11~13歳という年齢層のあいだで人気の企業です。

ゲーマーたちが自主制作したゲームも採用しているのですが、他のゲーム運営会社がクリエイター7割対運営業者3割という報酬体制でやっているのに、クリエイターに25%しか払わないので、クリエイターの年齢の低さに付けこんで彼らの想像力を搾取しているとの悪評もあります。

つまり、一方で親の眼から見ればゲームや映像配信の悪影響から子どもたちを守ってくれる企業もあれば、もう一方にはかなり露骨に子どもたちを搾取している企業もあり、デジタルゲーム世界は玉石混交というわけです。

そんなところからも、「フェイスブックのような世界有数の大企業がゲーム宇宙全体を統括してくれれば、ゲーム産業ももっと世間一般の認知度が改善するのに」といった見方をする人たちもいらっしゃったわけです。

仮想空間の不動産が高額取引の対象に

また、さまざまなゲームが展開されるデジタル環境自体も、現実世界の不動産同様かなり高額で取引される資産と見なされるようになってきたことも、ザッカーバーグがこの多元宇宙に眼を付けた理由でしょう。


サンドボックスというのは、子どもが遊ぶための砂場といった語感のメタヴァースのひとつですが、そこにある土地をリパブリック・リーム社が、じつに430万ドル(約4億9000万円)という高額で購入したと報道されました。

今までのところ、仮想空間内の不動産物件取引額としては最高です。この取引については、売り手がコンピューターゲーム初期の最大手、アタリ社だったことも話題になりました。

今や、スティーブ・ジョブスという稀代の経営者とスティーブ・ウォズニアックという稀代のエンジニアが、ともに社会人として最初の腕試しをした会社ということでかろうじて記憶にとどまっている会社ですが、よくまあ生き残っていたものだと感心します。

この巨額取引の直前には、今度はリパブリック・リーム社が売り手となり、匿名の買い手にやはりサンドボックス内に停泊中の超豪華ヨットを65万ドル(約7400万円)で売りさばいたと報道されていました。こちらは仮想空間内の動産取引としての史上最高額だったはずです。


明らかにバブルです。当然、こうした取引の大半は買い手が売ろうとしたときには買い値の数分の1、数十分の1になっているでしょう。

ただ、そのバブルが潰れてしまったら、あとに何も残らないと決めつけてしまってはいけません。

バブルには2種類あります。

1720年にフランスで起きたミシシッピ・バブルのように、いったい何をするのかわからない会社の株価だけが舞い上がったあとには、まったく何も残りませんでした。

でも、1637年にオランダで起きたチューリップ・バブルは大きな歴史の転換点となりました。

スペイン、ポルトガル中心におこなわれていたヨーロッパ諸国の植民地経営は、金銀、香料といった現地の貴重な品々を奪い取ってきてヨーロッパで高く売る、典型的な略奪経営でした。

ポルトガルから香料諸島を奪ったオランダは、現地の生産過程を掌握しました。

チューリップ・バブルについても、珍しい色や模様の花が咲く球根だけが異常な高値になったのですが、それは植民地経営は略奪ではだめで生産過程を掌握しなければならないという思考様式の変化を象徴していたのです。

イギリスとアメリカで鉄道網建設が本格化したのも、19世紀半ばに派手な鉄道株バブルがはじけたあとのことでした。

仮想空間の動産・不動産バブルも、デジタル化によっていくらでも複製の作れるものだって、厳重な監視の中で複製させない体制を今後確立させれば高額取引対象となり得るという筋書きもあります。

マーク・ザッカーバーグは、まさにその筋書きを当てこんでいるわけです。

現実世界で手堅い商売をしてきた企業の中にも、その流れに乗ろうとする会社も出てきました

たとえば、美術品競売の世界最大手、サザビーズもメタヴァース内にデジタル美術品競売のための「仮想支店」を開設し、そこではサザビーズ・ロンドン総支配人の精巧なアバターが客を出迎えてくれるという趣向にしてあるそうです。


ちなみにNFTとは「分割不能のトークン(Non-Fungible Token)」の略号ですが、ちょっとしたブームを起こしているこの不思議な商品については、また機会を改めて検討したいと思います。

さて、この仮想空間での物件取引高額化は、実を結ぶことのないあだ花で終わるのでしょうか? それとも、たわわな実を結ぶ将来が待っているのでしょうか?

私は、消費者向けサービスや1点物の美術品競売といった本来的に中小零細企業にも大きな活躍の場が残されている分野がいっせいに寡占構造になってしまえば、巨大企業が統括するデジタル化商品・サービス産業が繫栄すると思います。

マーク・ザッカーバーグは、まさにそうした多元宇宙の帝王になることを目指しているのでしょう。

ただ、それはかなり味気ない世界になるだろうと見ています。どちらかと言えば願い下げにしたい変化です。

デジタル商空間が予測する
消費者需要の行方は正しい

その一方で、仮想空間の商業施設は、将来世界中の消費者サービスが目指すであろう方向をかなり的確にとらえているという気もします。

メタヴァースの中でもデセントラルランド(中央集権化しない国)にあるメタジュクは、人気スポットですが、このジュクは明らかに原宿のジュクです。


原宿を想定したと言っても、「お店」とか「カラオケ」とか、ましてや「飲食店」という看板が掲げてあったりすると、日本人としては興ざめです。

また、さすがにファッションの店は原宿風ですが、町全体としては原宿よりはるかに秋葉原っぽいのも、日本人としては落差を感じるところです。


ただ、日本人は見逃しがちな原宿と秋葉原の共通点も、この仮想空間が気づかせてくれます。

それは、どちらも欧米の成熟した大人から見れば、とても幼児的な空間だということです。

私は、サービス業主導経済の成長の原動力になるのは、人類全体で幼形成熟(幼児的なまま、歳をとっていくこと)が進むことだと確信しているのですが、仮想空間の商業施設はまさにその方向を示唆しています。

重厚長大産業が慢性不況の今、本質的には同じモノ(製品)やコト(サービス)がちょっと目先を変えただけではるかに高く売れるという以外に経済成長の芽は出ないと思っているからです。

ただし、それは大人の大部分がしっかり成熟してしまった欧米社会では進むのがむずかしい道でしょう。

『江分利満氏の優雅な生活』でデビューした山口瞳のエッセイ集の中に、「アメリカ人の知人が日本駐在を終えて帰国してからというもの、ローティーン時代を東京で過ごしたお嬢さんが『アメリカ中探しても原宿のような店が並んでいる街がない』と毎日泣き暮らしているとこぼしていた」という記述がありました。

まだ、1960年代か70年代に書かれていたはずなので、さすがに作家の眼は鋭いなと思ったことを思い出します。

そして、この商業施設の東アジア趣味は、仮想空間にかぎったことではなく、現実空間の中でも起きています

次の写真は、フロリダ州のタンパにある現実のショッピングモールです。



アムステルダムやコペンハーゲンと見まごう街並みが売りなのに、漢字やハングルの看板が出ているのは、やはり日本人には違和感が残ります。

ですが、世界中で商業空間の未来は東アジア風を目指すことを象徴する事実と考えれば、納得がいきます。

なお、メタ・プラットフォーム社の野望については、ぜひウェブマガジン『増田悦佐の世界情勢を読む』創刊準備号の『「超宇宙」での君臨を夢見るフェイスブック改めメタの野望』も合わせてお読みください。

読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想お待ちしてます。

コメント

匿名 さんのコメント…
バブル崩壊にも、ただ崩壊するだけのバブルと、崩壊後に新たな創造へと向かうバブル崩壊が有ったとは、初見です。

栴檀の葉
増田悦佐 さんの投稿…
栴檀の葉様:
コメントありがとうございます。
派手に崩壊したあと、大きな発展が待っているバブルの世界史的な意義については、『これからおもしろくなる世界経済』(ビジネス社、2018年)の導入部、とくに34~43ページに詳しく書いておきました。ちょっと大げさになりますが、リンク先を本文欄に投稿しておきます。
たまたま、アマゾンのキンドル版で無料で読めるページになっているようなので、ぜひご覧の上お気に召しましたらお買い上げください。
増田悦佐 さんの投稿…
栴檀の葉様:
申し訳ありません。
アマゾンキンドル版の無料購読ページは、2種類のバブルについて解説した節の2節前で終わっておりました。
お詫びして訂正いたします。
匿名 さんのコメント…
世界には買い取り業界が無いのでしょうか?希少性で異なりまますが、古物など売値の5%が買い取り価格です。一般人もほとんど知っている事です。外国では一体どうなっているのでしょうか、外国人が自国の事情を書いている本や文章はまだ見たことが有りません。
増田悦佐 さんの投稿…
匿名様:
コメントありがとうございます。
結論から申し上げますと、欧米のどんな豊かな国にも、新品として市場に出回っているもの以外の製品・商品・美術工芸品などについて、以下2つの大きな区別があるという知識が庶民のあいだで浸透している国はありません。
1. 大量生産品、あるいはコピーの簡単な商品で、元値の5%で買い取ってもらえればラッキーという品々。
2.しかるべき鑑定を受けて一品物のオリジナルであることが確認できれば、古くなるほど希少性の増す品々。
江戸時代中期以降の日本では、ふつうの生活水準の町人や農民のあいだで、書画骨董を集めたり、鯉や石や盆栽に大金をはたいたり、ものを書くのに筆、硯、紙に凝ったりするのはありふれた道楽でした。
つまり、そういう古びるにつれて価値の増すものと量産品との区別が遅くとも18世紀には確立されていたのが、江戸時代の日本なのです。
一方、近世から近代にかけてのヨーロッパ諸国でおそらくいちばん貧富の格差の小さかったのはイギリスです。ですから、科学技術の発展度や取引慣行についての自由度などではフランスとほぼ同水準でありながら、産業革命が始まったときに、比較的広くて豊かな国内市場を相手に飛躍的な経済発展が可能だったわけです。
そのイギリスでさえ、産業革命期以前に庶民は書画骨董を集めたり、ほとんど実用性のないものに大枚を投じたり、ましてや文房具に凝ったりはできませんでした。そもそも庶民のあいだに読み書き、算数のできる人はほとんどいなかったのです。
ですから、かつてテレビ東京系列有数の人気番組だった『テレビ鑑定団』のような番組は、イギリスでやったとしても線香花火に終わるでしょう。
失礼な表現になってしまいますが、そのへんのおじさん、おばさんが家宝を鑑定してもらって本物とわかって高額評価がついたとしましょう。日本では当人も無邪気に喜ぶし、観衆も良かったねで終われます。
イギリスではどうでしょうか。庶民からは「あいつは我々を酷使し、虐待していた金持ちの子孫か」と白眼視され、富裕層からは「タダでの鑑定目当てに家宝を人目にさらすとは、落ちぶれたもんだ」とさげすまれて終わりでしょう。
なお、江戸時代中期以降の日本の庶民がいかに豊かだったかについては、お涙頂戴の貧農史観一色に染まっていた近世日本史に革命的な変革を起こした歴史家、田中圭一の著作をお読みになることをお勧めします。
『帳箱の中の江戸時代史――近世村落史論』(上1991年・下1993年、刀水書房刊)は、残念ながら稀覯本になってしまい、私もつい最近入手したばかりです。でも、『百姓の江戸時代』(2000年、ちくま新書)などは比較的手軽に古本として手に入ります。
ちなみに、庶民のあいだでも稀覯本と古本との差が浸透している日本では、めったに古本市で稀覯本を格安で手に入れることはできません。その区別が浸透していないパリやロンドンの露店の古本商の店には、本来であれば相当高額でしか買えない稀覯本がときどき混じっているようです。