R&Dの方向性は、企業・起業家・研究者に任せるべき ご質問にお答えします その13
お答え:もし、経済的に意義のある技術を開発することが、たとえばオリンピックのような競技だとすれば、たしかに自前の技術を開発するための努力を怠ってはならないでしょう。
投資が経済全体を左右する時代が終わる
でも、実際にはほんとうに人類の生活を豊かにする画期的な技術進歩が、開発した国に独り占めされて他の国には使えないということはありません。
むしろ、画期的な技術がいつ、どこで開発されても、きちんとライセンス料を払ってその技術の成果を享受できるように豊かな国であり続けることのほうが、はるかに大事です。
「技術立国」といったスローガンはよく聞きますが、実際には国民生活の水準は、その国で生まれた人たちやその国の企業がどれほど画期的な技術を開発したかにはあまり依存していません。
それより、初等教育の普及度、社会生活に必要な決まりを守って平和で安全な暮らしを維持していける人が多いこと、といったことがらに依存する度合いが高いのです。
もちろん、現在はたとえば中東などの産油国の1人当りのGDPが非常に高いなどの、天然資源の偏在によって生ずる個人や国の努力では埋めることのできない所得格差はあります。
ただ、それは世界経済がまだ製造業主導からサービス業主導への過渡期にあるからこその現象です。
先進国を中心にサービスへの需要が製品への需要よりずっと大きくなるにつれて、高い生活水準を維持するために必要なエネルギー資源、金属資源の量は確実に減少しつづけています。
国民生活を豊かにするために必要な資源量が減少するとともに、ある技術がどこで開発されたかとか、ひとりの天才がどこで生まれたかとか、ある資源がどこに大量に埋蔵されているかの偶然にはあまり影響されず、個人個人の努力が比較的平等に報われる世の中になっていくことは間違いのない事実です。
製造業が経済全体に占める地位が低下するとともに、大規模な生産設備や大がかりな研究開発のための投資もあまり重要ではなくなり、世界中で企業は手元現預金が増え、銀行は預貸率が低下するという「カネあまり」現象が生じています。
この「カネあまり」現象が続けば、やがて世界経済の動向を決定するのは一握りの有力産業の寡占企業と金融業界が決める投資動向ではなく、一般大衆が好きなモノ、やりたいコトにカネを投ずる消費動向となって、ずっと平等な社会になるでしょう。
最近、「地球温暖化を防ぐために、人為的な二酸化炭素排出量をゼロにする」とか「新型コロナは大疫病で、一刻も早く有効なワクチンを開発しなければならない」といった議論が盛んでした。
そして新型コロナについては、大量の研究開発資金が投入されて、従来の例から見ると奇跡的とも言えるほど短期間に、ワクチンの実用化にこぎ着けました。
私は、このふたつの議論に共通の特徴は、どうがんばってもあまってしまう大量の投資用待機資金を持っている人たちに絶好の投資機会を提供したことだと思っています。
なぜ、とにかく大量の待機資金を投資に振り向けたいのかといえば、彼らごく少数の人たちが持っている大勢の一般大衆の生活が良くなるか、悪くなるかを決定する権限を守りたいからです。
私には、長年にわたって不思議でしょうがなかったことがありました。
それは、ガリバー型寡占の経営者とか、国際的な大手金融機関の花形プレイヤーといった頭のいい人たちが、なぜ稼動率も低く、エネルギー効率も悪い太陽光発電とか、風力発電とかにあれほど入れこむのかということです。
太陽光発電の普及に熱心だったドイツやアメリカのカリフォルニア州では去年の夏から年末にかけて、電力需要の高い夜の発電量が激減し、大混乱に陥りました。
また、風力発電の盛んなアメリカのテキサス州では発電用の風車が凍り付いたために、長期停電で数百人規模の凍死者が出るという痛ましい事態となりました。
それでも、まったく反省の気配もなく「クリーンエネルギー」化を進めているのは、太陽光も風力も稼動率が極端に低いので、膨大な設備投資を必要とするからだとしか思えません。
また、過去十数年にわたって一種の「大疫病待望論」的な空気がただよっていて、2020年春の新型コロナの世界的流行を待ち受けていたようにワクチン開発に大量の資金が投入されました。
これについても、研究開発に巨額の資金投入を必要とする分野が、薬品・バイオテクノロジーに限定されつつあったという背景を見落としてはいけないと思います。
巨大技術の時代はすでに終わった
経済の流れを漫然と見ていると、世の中全体がますます設備や研究開発に巨額の資金を必要とすることが増え、大企業や人口・経済規模の大きな大国に有利になっているように感じてしまいます。
でも、次にご紹介する2枚の年表を注意深く見ていただきたいと思います。1枚目は、一見グラフのようです。
そして、世の中はどんどん変化のスピードが速くなり、しかも変化の幅は広がっている・・・・・・ように見えます。
でも、もしこれがグラフだとしたら、いったい縦軸には何が目盛ってあるのでしょうか?
なんでもありません。これは世の中の変化はどんどん大きくなるという印象を持ってもらいたいから、サイクルが進むにつれてピークを高く見せているだけの、なんの数量的な根拠もない挿絵やイラストに過ぎないのです。
実際には、サイクルのたびに変化が大きくなったという判断には多くの異論が出て当然だと思います。
もう少し文章の多い年表のほうも見てみましょう。
第1波の、それまで人力や家畜の力に頼っていた工程を、川の流れや滝の落下を利用して効率よく狭い場所で集中作業できるようにしたのは、非常に大きな変化でした。
また第2波の、水を沸騰させたときの膨張する力を蒸気機関によって利用できるようになり、汽車や汽船といった大量高速輸送機関が発達したことも、石炭をコークスにすることで薄く強靱な鉄鋼を製造できるようになったことも、大変革です。
第3波の電力は、動力源として使い勝手がよかっただけではなく、熱、光、音などこれまで人類がうまく加工できなかったものを自由に加工できるようにして、遠くのものを見聞きできるようにするなどの画期的な変化をもたらしました。
また、規模の経済の典型とも言える化学工業の発展は、それまで実験室で量も少なく、品質も不安定にしか造れなかったものを、安く大量に安定した品質で造れるようにしました。
ところが、第4波あたりから、画期的というより派生的な変化が目立ってきます。
石油化学は、化学工業の中で石油を原材料とする1分野ですし、電子工学も電気を利用できるようになったことに比べれば、同じ道筋の上でのさらなる進歩に過ぎません。
航空技術にいたっては、20世紀初頭から第二次世界大戦末期までに基本的には終わっていた軍事技術上の革新を、平時に一般人のビジネスや観光でも移動用に使えるようにしただけです。
私は、第5波と第6波は分ける必要があるのか、非常に疑問に思っています。
たったひとつの例外をのぞけば、このふたつの波動で列挙された5項目は、全部小さなコンピューターや携帯に莫大な容量のメモリーを搭載できるようになったことに対応した通信インフラやソフトウェアの整備に尽きるのではないでしょうか。
その変化は、すべてコンピューターの点滅に使う部品を真空管から半導体、そして集積回路へと小型・大容量化する中で生じたことであり、メインフレームと呼ばれたばかでかいコンピューターが主流だったころのガリバー型寡占企業、IBMには見通せていたはずの事態でした。
それでも、業務用大型コンピューター以外の市場は全部小さなニッチにしかならないと確信していたIBMは、自社がほとんど独占に近いシェアで製造していたPCのオペレーションソフトの作成・管理を競争入札でマイクロソフトに譲り渡し、没落していったのです。
IBMは長期戦略を持ち、宗教的とも言える情熱で技術開発に取り組んできた企業で、今でも取得した特許件数では毎年世界最上位争いをしています。
それでも「自分たちが育て上げ、熟知している市場だから、自分たちの研究開発方針に間違いはない」という思いこみの前には無力だったのです。
これは、「長期的な展望を持ち、地道に研究開発を積み上げていく企業は安定した地位を保つはずだ」という見方に対する、かなり強烈な反証ではないでしょうか。
すでに開発されている技術の延長線上での長期戦略でさえこのありさまですから、まだ実用化のめどの立っていない研究課題についての長期戦略となると雲をつかむような話になるのは当然です。
常温超伝導ですとか、原発を稼働しているかぎりできてしまうけれども、現状では核兵器にしか使い途のないプルトニウムの平和利用のための核融合の研究ですとかは、結局かなりの予算を費やして具体的な成果が上がらないまま打ち切られました。
そして、技術革新自体が巨大から微細へと変化するにつれて、その変化を形容するレトリックは大げさになっていきます。
たとえば「AIやIoT(モノのインターネット)は、これまで人類が想像もできなかったような変化をもたらす」といった表現がその典型でしょう。
最先端のコンピュータープログラムが膨大な電力を消費すれば、ルールの決まったチェスや囲碁の世界では実力ナンバーワンのグランドマスターや棋士に勝てるのは事実でしょう。
でも、ルール自体が時々刻々と変わっている現実社会に対して、自分でプログラムを書き換えながら即対応するコンピューターが出現するでしょうか。
そもそも、現実社会のルールは、いつか、どこかで、だれかが網羅できるものなのでしょうか。
IoTも、実際にインターネットでモノを搬送することはできないままでしょう。
「いや、三次元プリンティングの実用性が高まれば、モノの設計図から実物に変換できる」と主張する方々がいらっしゃいました。
ですが、鳴りもの入りで登場した三次元プリンティング自体が、かなり長期にわたって銃砲所持に対する規制のきびしい地域で、少なくとも外見では実用に堪えそうな模造銃を造ることぐらいにしか利用されていないようです。
蒸気機関や電力は、だれも想像もできなかったようなことを人類の大多数に可能にしました。
でも、コンピューター技術の発展は、人類の大部分にとってスクリーンをのぞきこむ時間を増やす以外の画期的な変化をもたらしたのでしょうか。
さて、第5~6波の中で唯一PCや携帯の大容量化に付随しない項目とは、すでに触れましたが「地球温暖化防止のために、人為的二酸化炭素排出量ゼロを目指すクリーンエネルギー開発」です。
各国政府がさまざまなプロジェクトに補助金を出していますが、これらのかなりの部分は「自然条件が好適なときだけ稼働する」太陽光発電や風力発電を軸としています。
さらに、自動車の動力源を、ガソリンや天然ガスの内燃機関という非常にエネルギー利用効率の高いものから、発電・変電・送電・蓄電という各過程でロスを出す、非常にエネルギー効率の悪い電動モーターへと転換させることも目指しています。
私には、ジェット機を水蒸気やヘリウムで膨らませた気球で空を漂う飛行船に換えるとか、スクリューで推進する巨大タンカーを大型帆船に換えるとかと似た技術退歩としか思えないのですが。
世界中の政財界の大物たちが、異口同音に「地球温暖化阻止」を唱えているのは、自分たちの投資判断が世界経済の動向を左右するというかたちで持っている経済権力を手放したくないからだろうという推測は、すでに申し上げました。
ただ、一般論としても、研究開発のような優れて創造性を必要とする仕事は、絶対に衆目の一致するところを目標に意思決定をしてはならないと思います。
国や諮問機関が推進する長期計画は必ず失敗する
なぜかと言えば、大勢の人たちの最大公約数的な目標、つまりもしそんなことが実現したらだれひとりとして反対しそうもない非の打ちどころのない目標に落ち着いてしまうに決まっているからです。
「もしそんなことが実現したらすばらしい」とだれもが思うことが実現しないのは、たいていの場合、これまでの努力が足りなかったからではなく、乗り越えることができない実際上の困難があったからでしょう。
研究開発のような当たり外れの多い作業でリスクを最小化する方法は、意思決定の主体をできる限り分散させることです。
「これが国家目標だ。国民全員がこの実現に向けて頑張れ」などと言わずに、各企業、各起業家、各研究者に自分が好きなように目標を設定してもらうことです。
短期的な収益の最大化を狙う人たちも、長期的な成長性を狙う人たちもいて、てんでんばらばらだからこそ、みんなが同じ方向に間違うという最悪の事態が避けられるのです。
この方針のもうひとつの利点は、「Do Nothing Solution(何もしないという解決策)」を選ぶ余地がみんなに与えられていることです。
たしか古代ギリシャで医学研究の第一人者だったヒポクラテスが提唱した「医師の誓い」第一条には、「患者の病状が悪化するような治療法はとらないこと」とあります。
当たり前のようですが、実社会では、とくに贈収賄が合法化されてから学術研究者の能力さえ、どれだけ研究資金を引っ張ってこられるかで測られるようになった現代アメリカ社会では、この当たり前が通用しません。
ありとあらゆる問題について、何かしら積極的な解決策を売りこむ研究者にはスポンサーがつきますが、「この問題は何もしないで放っておくことが最良の解決策だ」と主張する研究者にはスポンサーがつきません。
アメリカの利権社会化については、最新刊の拙著『米中「利権超大国」の崩壊』、第3章をぜひお読みください。
そこで、有能な研究者たちは「これこそ最善の解決策」と唱えて積極的な対応策を競い合うことになります。
今回の新型コロナ騒動でも、自然免疫、自然治癒力を強調した専門家の多くが、すでに名誉教授クラスで研究の第一線を離れた方々であり、現役研究者の多くがこの疫学では本来正統派とされている主張を避けていたという淋しい事実があります。
コメント
-----最後の仕事の目指すこと----
個人個人の努力が比較的平等に報われる世の中になっていくことは間違いのない事実#
たしか古代ギリシャで医学研究の第一人者だったヒポクラテスが提唱した「医師の誓い」第一条には、「患者の病状が悪化するような治療法はとらないこと」#
世界経済がまだ製造業主導からサービス業主導への過渡期にあるからこその現象 #
●世界はどうして出来たのか、また何で出来ているのか?
●人間は何処から来て何処へ行くのか、何のために生きているのか?
[出口治昭『哲学と宗教全史』ダイヤモンド社]から。
コメント有難うございます。この世界を少しでも良い方向に変えながら、次世代に残せるように生きていきたいと思います。
プルトニウムについては、核融合でなくプルサーマルの間違いでは?
飛行船については、水蒸気でなく、水素の間違いでは?
と思いました。くだらん枝葉末節からネチネチ攻める御仁が多い世の中ですので、一応修正したほうが良いのでは?と余計なことですが。
コメント有難うございます。
まず、原子力発電でウラニウムを凝縮してできてしまう厄介な副産物はプルトニウムであり、プルサーマルはそれをどう平和利用するかの方策の一つです。ただ、プルサーマル技術もおそらく実用化は難しいでしょう。
水素を飛行船に使うことも開発初期にはありましたが、あまりにも爆発炎上しやすいので、不活性のヘリウムガスか水蒸気に取って代わられました。
現代技術でも、活性の高すぎる水素を安定したエネルギー源として使うという方法は確立されていないと思います。