日本は江戸時代から初等教育では断トツの先進国です ご質問にお答えします その14

こんばんは 
前回の投稿にもまた、すばらしい補足質問をいただきましたので、今回はそのご質問にお答えしようと思います。

ご質問:高等教育より初等教育の普及度のほうが大切という論旨は、根本の技術を生み出せるかどうかより、技術を利用してより良いものを創り出す、まるで江戸時代欧米から当時の最先端技術を学んで独自に船とか大砲などを作ってしまったような土壌があるほうが重要という理解で間違いないでしょうか

お答え:まったくそのとおりです。

そして、日本の知識人はあらゆる問題について日本はだめだという前提で「なぜダメなのか」「どうすれば良くなるのか」ばかり議論しています。

ですが、私はそのためにせっかく良いところをたくさん持っているのに、その長所を捨てるような方向への「改革」をやりたがる人たちが多すぎると思います。

日本の初等教育は「危機的」なのか?

たとえば、日本の公共教育が崩壊寸前で、子どもたちは小中学校から私立の名門校へでも進学させないかぎり、良い教育を受けられなくなってしまったという議論が盛んです。

こうした主張をする人たちは、具体的な根拠を持っておっしゃっているのでしょうか?

どうも私にはそう思えないのです。たとえば、arealme.comという団体が、だれでも即座にIQテストを受けて自分のIQを知ることができるというサービスを提供しています。

その団体が集計した国別のIQ平均値の最新データから、トップ40ヵ国を抜き出したのが次の表です。


ご覧のとおり、政治的にも、経済的にも、社会的にも上手に立ち回らないと危険に満ちた国である香港が首位で、そのすぐ下の2位に「のんべんだらりと暮らしている人が多い」という印象がある日本が入っているのです。

なお、このトップ40ヵ国中12ヵ国、3分の1弱は任意の受験者が100名未満というサンプル数なので、とくにアメリカのような国は順位が非常に低いという印象があります。

ただ、少なくとも100名は任意の受験者がいた北朝鮮よりアメリカのほうが下だという事実は、変わりません。

まあ、北朝鮮の場合「私の知的能力でこのテストを受けてよろしいでしょうか?」とキム・ジョンウン様にお伺いを立ててから受験した人ばかりという可能性はありますが。

そこで、受験者100名未満の国を除外したのが、次の表です。


こうして見ると、アメリカの順位は38位から28位に上がりましたが、フランスやイスラエルもふくめてエリート教育に躍起になっている国ほど一般大衆の教育水準はお粗末だとわかります。

なお、欧米の経済大国が軒並みパッとしない順位で、イタリアやスペインのほうが、イギリス、ドイツ、フランスより高位につけているのは、かなり深刻な問題です。

というのも、IQテストはそもそもイギリスの成人男性(のちにイギリスの成人男女)の平均値が100になるようにと設計された、欧米偏重、英語圏偏重のテストなのです。

そのテストで旧大英帝国やドイツ、フランスがトップ10に1国も入れなかったわけですから、これらの国々で初等教育の段階で知的能力を開花させるチャンスをもらえなかった人たちがいかに多いかを示していると思います。

なお、中国が意外に健闘していますが、これはおそらく現代中国でこうしたテストに自由参加できるのは、都市戸籍を持つ都市居住者だけだからでしょう。

農村戸籍を持っている人たちは農村に住んでいても、都市に出てきていても、参加できるほどの読み書き能力を持っていない人が多いはずです。

すばらしかった江戸時代の寺子屋教育

さて、その中で比較的人口の多い先進国の中では唯一、日本が2位に入っています。

いったいなぜでしょうか?

最大の理由は、江戸時代中期にはほぼ完成していた寺子屋という初等教育の仕組みがすばらしかったことだと思います。

寺子屋は完全な民間企業で、子どもたちにいろは、カタカナ、ひんぱんに出てくる漢字の読み書き、そして足し算、引き算ならかなり桁数が多くなっても確実に正解が出る程度のそろばんを、マスターするまで教えることで授業料を取っていました。

できの悪い子は何年も通う必要があるけれども、要領のいい子は1~2年で「卒業」する柔軟な教育機関です。

当時の寺子屋の授業風景を描いた絵を見ると、「これでは自由闊達を通りこして乱暴狼藉ではないか」と眉をひそめる方もいらっしゃるかもしれません。こんな感じなのですから。


この徹底した放任主義には、しっかりした経営戦略があったのです。

初級を「始の巻」、上級を「末の巻」と呼んでいましたが、乱暴でほかの子をいじめたり、天井を向いて高いびきで寝ているような子は、何年も始の巻にとどまってくれて、いいお得意さんです

また、親が「なんでうちの子はいつまでたっても読み書きそろばんができないんだ?!」と怒鳴りこんできても、授業風景は公開していますから「こちらでも言うことを聞かないんで苦労しています。お宅でもきちんと叱ってください」と言えば、親も引き下がらざるを得ないわけです。

おもしろいのは、男女の身分差など無関係に、手に負えない乱暴な子も混じっている始の巻は、先生も助手も男性、そろそろお行儀が良くなっていたずらもほかの子より先生の助手を相手にするようになった末の巻は先生も助手も女性だという合理的な分担になっていることです。

それに比べて権威主義丸出しだったヨーロッパの教育

本来なら、ここでほぼ同じ時期にヨーロッパではどんな初等教育をしていたのかと比べるところです。

ですが、ヨーロッパには産業革命のころまで大勢の子どもたちを集めて読み書きを教える初等教育は存在しませんでした。

イギリスでは今でも、イートン校とかハーロウ校とかべら棒にカネのかかる私立高校をパブリック・スクールと言います。

なぜあんなに閉鎖的な学校が、公立を意味することの多いパブリック・スクールと呼ばれるかと言えば、ほんとうの金持ちは自分の子どもをほかの子たちと込みで教育することなど思いもよらなかったからです。

王侯貴族、大地主、大金持ちは自宅に優秀な家庭教師を招いて、完全な個人授業で初等教育をしていました。現在の学制で言えば中学・高校に当たる中等教育もほぼ同じです。

そして、イギリスなどのヨーロッパ諸国では家庭教師につくこともできず、中産階級の上のほうに属する家に生まれてパブリック・スクールのような学校に行くこともできなければ、運よく教会で聖職者になるための教育を授かる以外には、読み書きができるようになる手段はほとんどない状態が、産業革命のころまで続いていたのです。

中産階級より下の家庭に生まれた女性は、産業革命後も19世紀末か20世紀初めくらいまでそういう状態に放置されていました。

そこで、中世ヨーロッパの大学・僧院・修道院での授業風景を見てみましょう。


教師と学生とのあいだには、すさまじい身分差があったことが一目でわかります。

なお、左側の縦長の絵はふつうの授業風景ではなく、パリ大学で行われた博士号を持つ人だけに参加する権利のあった研究会だそうです。

それでも、中央奥の玉座のような高い椅子に座った、おそらく高位の聖職者と窮屈そうに長机と異様に近い背もたれとのあいだに挟まれた「博士」たちとでは、これだけ待遇の差があったわけです。

右上はもっとありふれた教授と学生の群像ですが、教授は2~3段高い椅子に座り、学生は狭いベンチにすし詰めになっています。

玉座のような演壇を用意することのできない小さな修道院などでは、下の絵のように教師だけがイスに座って悠々と書見台を見ながら講義し、学生たちは膝まずいています。

なぜ、ヨーロッパでは初等教育がそんなに少数の人たちにしか許されない特権だったのでしょうか。

その背景には、子どものいる世界といない世界の差

パリ大学歴史学部を卒業したあと、歴史学者として教職に就くことができずに独自の研究をつづけ、「日曜歴史学者」と揶揄されていたフィリップ・アリエスが、1960年に本を出しました。

『〈子供〉の誕生』と題されたその本は、文字どおりセンセーションを巻き起こしました。

何しろ、ヨーロッパでは中世から近世に至るまで「子ども」という概念自体が存在せず、抱いたり、撫でたりしてかわいがられる乳幼児期を過ぎた子どもたちは、すぐ大人の縮尺模型として社会に出ることを余儀なくされる存在だったと、主張したのです。

つまり「中世から近世までのヨーロッパには、子どもは存在しなかった。やっと子どもが誕生したのは産業革命が起き、ブルジョワが階級として認知されたころのことだった」というのです。

これだけラディカルなことを言ったわけですから、その後の中世・近世ヨーロッパ史家たちは懸命に彼の業績を否定しようとしました。今でも、この主張を極論として隅に追いやろうと論陣を張る人たちは多いようです。

ですが、基本的にアリエスの議論は的を射ているのではないでしょうか。

江戸時代の浮世絵には、乳幼児でも大人でもない子どもを主人公とした浮世絵がたくさん描かれています。

どれを見ても、子どもたちは乳幼児とも大人とも、プロポーションも顔つきも違う独特の存在として認知されています。

代表的な浮世絵を、2枚ご覧いただきましょう。


どちらも、ごく自然に表情もプロポーションも子どもらしく描かれています。

それでは、ヨーロッパでは子どもはどう描かれていたでしょうか?


初等合唱教室とありますから、聖歌隊に入れるために子どもたちを教えている風景でしょう。早ければ4~5歳、どんなに遅くても声変わりする前の14~15歳まででしょう。

まん中のふたりの表情が大人あるいは老人に見えるのは、この木版を彫った人の技量の問題かもしれません。

ですが、全体のプロポーションは完全に大人の縮尺模型として描いています。つまり子どもたちはそれほど無視された存在だったのです。

幕末から明治維新期に日本を訪れた多くの欧米人が、異口同音に「子どもたちにとって、日本は天国のようなところだ」と観察しています。こんなに子どもに対する関心そのものが違っていたのですから、当然だろうと思います。

自発的に学ぶ一般大衆が多かったから明治維新は成功

そして、江戸時代の日本は、すでに当時のヨーロッパ諸国と比べても、はるかに高い識字率を達成していました。

このことは、欧米から知識、思想、さまざまな発明発見を原理から学ぼうとする際に、大きな利点となっています。

欧米諸国に征服された国々ばかりか、本家に当たる欧米諸国より速く日本で普及してしまったさまざまな科学技術があったのです。

たとえば、小泉八雲というすばらしい日本名と、あくまでも異国情緒、懐古趣味で日本を描いたために、ラフカディオ・ハーンは欧米人のあいだでも日本でも名声を維持しています。

それに比べて、はるかに深く日本を愛し、日本の徳島に骨を埋めたヴェンセスラウ・デ・モラエスは、あまり高く評価されていません。

その最大の理由は、モラエスが「日本は、欧米の多くの国よりもずっと進んだ近代国家だ」と主張したことだと思います。欧米人にも、日本は欧米より劣っていると言わなければ気が済まない多くの日本の知識人にも、まったく受けない主張ですから。

モラエスの日本との出会いは、異国情緒でも懐古趣味でもありませんでした。

母国ポルトガルを離れて、わずかばかり残された植民地のうちでは最重要視されていたマカオに駐在した海軍軍人だったモラエスは、マカオ駐留軍の軍備近代化のために、どの兵器工場と提携するべきかを綿密に調査しました。

その結論が「軍備近代化のための発注先は、大日本帝国大阪砲兵工廠にすべきだ」という上申書だったのです。

モラエスが特に感心したことがあります。

それは、ポルトガル生まれのポルトガル人、現地生まれのポルトガル人、ポルトガル人と現地住民との混血、現地住民と何層もの階級ができていて、話す言葉も使う文字も違う狭いマカオの植民地社会の息苦しさとは対照的な、日本社会の階級性のなさでした。

工場長から工員まで同じ言葉を話し、同じ文字を使って、全員が少しでもいい工場にするために努力を惜しまない姿に感銘を受けたのです。

そのための下地は江戸時代にできていた

この現場技術を重視する姿勢は、すでに江戸時代に芽生えていました。

明代末期に『天工開物』という産業技術全書とも言うべき本が刊行されました。その中には、のちにイギリスがカリブ海に持っていた植民地で応用して、産業革命を起こすきっかけのひとつともなった、さとうきびから砂糖を精製するための搾汁機の図解も入っています。

次の3枚組の中で右上の絵です。


残念ながらこの絵では、動力源となる牛の牽き綱もたるんでいますし、牛が回転運動をすることで回るはずの軸が、ふたつ並んだ円筒のどちらの心棒につながっているのかもわからず、歯車として機能するはずの刻みは同じ方向にたなびくのれんのようにしか描かれていません。

つまり、搾汁機の機能を説明する図としては、まったく失格なのです。

一方、この『天工開物』の役に立たない説明図を見た江戸時代きっての鬼才、平賀源内は、現物を見たこともなかったはずですが、右下に立派に説明図として通用する絵を描いています。

牛の牽き綱はぴんと張り、牛が回転させる軸は、ふたつの円筒の右側の心棒に直結しています。

さらに、右の円筒には突起があり、左の円筒には突起と同じ位置にへこみがあるので、この凹凸がかみ合うことによって、ふたつの円筒は反対方向に回転する……だから、その中にさとうきびを挟みこめば果汁を搾り取ることができるというわけです。

もっと驚くべきことがあります。

辛亥革命で大清帝国は中華民国となり、中国共産党もすでに結党されていた1927年に出た『天工開物』の改訂版でも、この搾汁機の説明図は改善されるどころか、むしろ改悪されていたのです。

左側の改訂版は、搾汁機の入った小屋、木立ち、塀、周辺の風景が描かれているために、かんじんの搾汁機はまん中にはあってもずっと小さく描かれていて、どんな仕組みになっているかは旧版よりもっとわかりにくくなっているのです。

「絵は、文人墨客階級を形成している絵師が描かなければならない。そして絵師が重視するのは機械の仕組みを説明することではなく、水墨画として完成度の高い絵を描くことだ」というわけなのでしょう。

我々、現代に生きる日本人は、初等教育を世界中のどこよりも早く普及させ、学問的に進んだことや、文化的に高尚なことより実用性を重視した先人の知恵を、もっと高く評価すべきではないでしょうか。

読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想お待ちしてます。

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