大英帝国がインドに残した「遺産」

今晩は。
今日は久しぶりに心の底から怒りを感じた、あるウェブサイトへの投稿について書きたいと思います。
そのサイトは『Acting Man』、イギリス的な辛辣な皮肉をまじえながら経済、金融、時事問題を論ずるサイトです。
 

コロナ禍の中で里帰りしたインドの知的エリートは何を見たか

このサイトに、インド生まれでイギリスのマンチェスター大学ビジネススクールで修士号を取り、今はおそらくイギリスかカナダかアメリカに帰化しているジャヤント・バーンダリという人が、久しぶりにインドに残した家族を訪問したときの印象を投稿しています。
 
どんな印象かといえば、ひたすら嫌悪、軽蔑、憐憫のみで、自分を育ててくれた風土に対する愛着も懐かしさも感謝もまったく感じられない全面否定です。
 
ワクチンの大量接種が始まるまでは、世界的に見ても被害が非常に小さくて済んでいたインドですが、この人が訪ねたときには感染者数、犠牲者数が爆発的に増えていました。

当然、彼の批判も政治家、官僚、医療機関、大衆がこの事態にどう対応したかについてから書きはじめています。
 
首相をはじめとして、政治家は人気取りばかりで思いつきの愚策で事態を悪化させるのみ。官僚は無気力、医療機関は組織的にも脆弱で、患者をそっちのけにして看護師同士が口汚くののしり合っている。

大衆は行列をつくって順番を待つことさえできないから、何をするにもおそろしくムダな時間がかかる。

このへんまでは、多少の誇張はあるにしても、もっともな批判をしているなと思わされます。


 
とくに、「病院の施設が不十分なうえに、妙にシステマティックな発想をしてコヴィッドと名のつくことはすべて一ヶ所にまとめる。だから、すでに感染して入院している人たち、感染の疑いがあるので検査に来た人たち、ワクチン接種を受けに来た人たちが雑然と同じ場所に集まっているので、むしろ感染を広めるために病院に行くみたいだ」という議論にはとても説得力を感じました。

ワクチン接種を本格化してから犠牲者数が激増したことについては、こういうシステマティックにつくり出されたかのような混乱や無秩序が大いに貢献しているらしいのは、次のグラフからも推測できます。
 


 

生まれ育った国をけなし、かつての征服者をべた褒め

でも、この鋭い観察からバーンダリが引き出した結論は、まったくいただけません。彼は現在のインドの貧困も混乱も、すべて大英帝国が残した立派な遺産を「独立」を達成してからのインド人たちが浪費し尽くしてしまったからだと言うのです。
 
締めくくりの部分だけ、当人のことばを私の訳文でご紹介しましょう。

独立と称する期間が73年間続く間に、インド人たちはイギリス人が残した制度をすっかり空洞化させてしまった。今や、この制度は崩壊寸前だ。」

「現在のインド人の人口は、イギリス人がやって来たころに比べると約10倍になっている。イギリス人たちがインドに送った数々の恩恵が徐々に無に帰されてしまった過程を見ていると、もしインドが西側からの援助を受けることができなければ、インドは英国統治が始まる前の均衡点、つまり現在の10%の人口に逆戻りしてもおかしくないことは、とくに数量感覚が優れた人でなくとも、すぐにわかる。コヴィッドやらなんやらは、きっかけに過ぎない」

 
たしかに、イギリスがムガール帝国統治下のインドに進出しはじめた17世紀初頭には、インドの総人口は約1億2000万人で、現状でほぼ中国と並ぶ約14億人の10%にも満たない数字でした。次のグラフが示すとおりです。
 


 
その後、約4世紀間でインドの人口が10倍以上に増えたのは、「イギリスがインドに与えた数え切れないほどの恩恵」の1つだったのでしょうか。
 
正反対です。
インドの人口がこれほど増えてしまったのは、大英帝国の統治下でインドの庶民の大半が食うや食わずの惨めな生活を強いられていたからであって、イギリスが与えた恩恵どころか、イギリスがもたらした災厄なのです。
 
他国に征服されることなく、独立を維持したまま農業主導経済から製造業主導経済に転換できた国々には、共通の特徴があります。

それは、開発経済学の専門家たちのあいだで「人口転換」と呼ばれる現象が起きたことです。
 
農業主導経済では、少しでも豊かになろうとする世帯は、なるべく大勢子どもを産んで、働けるようになった直後から農作業の手伝いをさせていました。

製造業主導経済へと転換できた国々では、子供は少人数しか生まずになるべく長い間教育を受けられるようにしたほうが得だと言う方針に変わっていました。
 
その結果、人口増加率が低下し、人口あたりの富が飛躍的に増加するようになったのです。
 
上のグラフをご覧いただくと、大勢の移民を受け入れたアメリカを例外として、先進諸国の人口増加率は非常に低かったのに、中国やインドではなかなか、この人口転換を達成できなかったことがわかります。
 
その一方で、下のグラフには、現在にいたってもインドや中国は世界的に見て1人あたりのGDPが低水準にとどまっていることが出ています。
 


 

イギリスのインド統治は残虐そのものだった

「イギリスはインドを人口転換に導くことができなかっただけで、それを『災厄』とまで呼ぶのは大げさすぎる」とお思いかもしれません。

ですが、イギリスは、自国よりはるかに豊かな生活をしていたインドの庶民から最大の収益源を暴力的に奪って、インドを貧困国に追いやったのです。

イギリスがインドを侵略しはじめたころの庶民生活を比べると、インドの方がイギリスよりずっと豊かでした。

それは、工業化の恩恵がいちばん早く現れた衣類を比較すると明らかです。

縮毛技術がなかったころのイギリスの庶民は、洗うことができず、汗や脂に塗れ、悪臭のする一着の毛織物の古着を一生着続けていました。

一方、インドの庶民は薄くて丈夫で、何度洗って干しても縮まずに着られるインド産の平織り綿織物、インドキャラコの衣類を何着か持っていました。
 
そして、17世紀の世界貿易の花形商品のひとつがインドキャラコで、それまで薄くて丈夫な布事はとても高価な綿織物しか知らなかったヨーロッパ諸国で、爆発的な売れ行きになりました。

だから、かなり高度な家内手工業としての綿織物生産が普及していたインドの庶民も、イギリスに比べればはるかに豊かな生活をしていたわけです。
 
勃興しつつあったイギリスの工場で生産した綿織物は、品質がはるかに粗悪でインドキャラコにはまったく太刀打ちできませんでした。
 
まだムガール帝国がインド亜大陸全域の権力を掌握していた頃のイギリスができたことといえば、インドからの綿織物輸入を禁止することぐらいでした。
 
ところが、19世紀初頭、ほぼ完全にムガール帝国は名ばかりの権威で実験はイギリス東インド会社が握るようになると、とんでもないことを始めます。

強制的にインドの綿織物工業をつぶしイギリスで大量生産した粗悪な機械織りの綿織物をインド人に着せようとしたのです。

家内手工業としての綿織物製造を禁じるだけではなく、違反者の手首を切り一生織物作りに携わることができないようにという残虐なことまでしたのです。

その結果、インド経済は壊滅的な打撃を受けました。
 
完全にイギリスの植民地とされてしまったインドでは、工業化の芽を強引に叩き潰された上に、農業生産でも小麦や米より、中国の植民地化に役立つアヘン(オピウム)の原料であるケシ栽培を優先させることが多かったのです。
 
したがって、インドは慢性的に食料の不足する国となりました。たった1年の凶作でも、2~3年の不作続きでもまだ農作業を手伝うことができないうちに幼児たちが飢え死にしてしまう。

そうなると、農家は自衛のために何人も子供のいる大家族化を目指します。

 
イギリス統治下のインドで人口が爆発的に増えたのは、イギリスによる植民地支配がいかにインド人を貧困に追いやっていたかを象徴する出来事だったのです。

最後のベンガル(現在のバングラデシュ)総督で、イギリスのインド統治がインド亜大陸全域に及ぶようになって初代インド総督に就任したウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクが、こう述べたほどです。 

「インドの野は、家内制綿織物手工業ができなくなって窮死した人々の骨で、白くなっている」
 
中国の人口爆発も、建前としては大清帝国の支配が続いていても、実質的には主要港湾をほとんど全部欧米列強に租借地として取り上げられ、関税自主権も失ってから起きたことです。
 
なお、バーンダリ氏は年に1回、カナダのバンクーバーで『資本主義と倫理観」という哲学の講座を開いているそうです。

自分の先祖にこれだけの暴虐をふるったイギリス人を褒めたたえ、いまだに大英帝国の「遺産」に苦しんでいる自分の同胞を口ギターなく罵る人間の倫理観になるものが、どんなに立派なしろものか、ぜひ聴講してみたいものです。
 

 読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想お待ちしてます。

コメント

匿名 さんのコメント…
イギリス統治下のインドで人口が爆発的に増えたのは、イギリスによる植民地支配がいかにインド人を貧困に追いやっていたかを象徴する出来事だったのです。
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イギリスのエリートを倫理観に、驚きました。
福田 さんのコメント…
次の誤記入を見つけました。

>完全にイギリスの植民地とされてしまったインドでは、工業化の

古代インドは仏教を生み、数学や哲学、美術が発展した地域という印象があり、最近私がある学者さんから聞いた話では言語の音声の研究もあったそうです。

私はこれらに関して高校世界史レベルの表面的な知識しかないのですが、こういう高度な文明があったらしい一方で、王朝の変遷を繰り返している内にイギリスに植民地化され、今でもなかなか先進国になれない地域、というイメージがあります。

かつて日本やチャイナが憧れた仏教がある先進地域としてのインド。その独自の発展を植民地化によって妨げられていなければ、日本と同様に文明の伝統を活かした別の発展の形があったろうなと思いました。
増田悦佐 さんの投稿…
匿名様
コメントありがとうございます。植民地化の怖いところは、まさにそういったことだと思います。
増田悦佐 さんの投稿…
福田様
コメントありがとうございます。また、ご指摘ありがとうございます!音声入力も使ったりしていると、こういうミスが起きたりしますね。気をつけます。

その通りだと思います。そして、インド文明がなかなか復活できないということが残念なだけではなく、イギリスの植民地支配がいかに残虐だったかを、少しでも多くの方に知っていただきたいです。