クルマが殺したアメリカの街 その1 ボルチモア

今晩は、今日から何回かにわたって『クルマが殺したアメリカの街』というシリーズを書きついでいこうと思います。

 

アメリカには歩いて楽しい街がない

昔、7年間住んでいたこともあり、証券会社でアナリストをしていたころは、ひんぱんに出張していたこともあるアメリカについて、ほんとうに寂しく思うことがあります。それは、歩いていて楽しい街が少ないことです。

 

もちろん、ニューヨーク市マンハッタン区とか、サンフランシスコとか、ボストン旧市街とか、フィラデルフィアの歴史的建造物保存地区とか、それなりに歩ける街はあります。でも、それは例外であって、ほとんどの街はだだっ広い道路をクルマで駆け抜けるには便利でも、わざわざそのだだっ広い道を横断して反対側に渡ることさえおっくうになるほどつまらない街並みしかありません。

 

「クルマ社会になってしまえば、当然だ」という考えもあるでしょう。実際、鉄道が極端に衰退しているイギリスの街並みはアメリカに近づいていて、まだしも鉄道が庶民の足として残っている大陸ヨーロッパのほうが、歩いて楽しい街が多いようです。

 

でも、なぜクルマのように走っているときには前後左右に車間距離を必要とし、停めておくだけでも膨大なスペースをとるクルマのような不細工な交通機関が、アメリカであれほどのさばってしまったのかが、不思議だとお考えになったことはありませんか? 私なりにその答えを探っていこうと思います。

 


クルマ社会は植民地時代から貧富の格差が激しかったアメリカ固有の産物

なぜか日本の知識人の皆さんのなかには「アメリカはだれでも自分の努力で豊かになれる自由と平等の国」という自己宣伝をすなおに信じていらっしゃる方が多いと思います。ですが、実際のアメリカはイギリスが世界中につくり出した植民地の中でも、昔からとても貧富の格差が激しい国でした。

 

カリブ海諸国のさとうきびプランテーションにアフリカから連れてきた黒人奴隷を送りこむ中継港でもあり、依存症形成リスクの高い嗜好品、タバコの輸出港でもあったボルチモアには、独立以前から大富豪がかなりいました。ちなみに、ボルチモアのすぐ北の郊外には私が在米最初の4年間を大学院生として過ごしたジョンズホプキンズ大学があり、私にとってアメリカの故郷と呼びたくなる町です。

 

その結果、アメリカでは馬車持ち階級に属する人の比率が多くなりました。たぶん、ヨーロッパ諸国では45パーセントだったのが、アメリカでは1520パーセントぐらいに達していたのではないでしょうか。

 

そして、2頭立てはともかく、4頭立て、6頭立ての馬車の先頭の馬の鼻面から馬車の最後尾までの距離はそうとう長くなります。この馬車が対向車線を横切って道を曲がるときには、広大なスペースを必要とします。

 

ですから、植民地時代からたいていの施設は歩いて用が足せる距離にあったニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア以外の都市には共通する特徴がりました。道幅がとんでもなく広いことです。これはもう内燃機関の動力で動く自動車など影もかたちもなかったころからのアメリカの都市だけの特徴でした。

 

だとすれば、アメリカの都市のほとんどが、大昔からあの味も素っ気もない街並みだったのかというと、そんなことはありません。馬車はスピードもそれほど出ませんし、馬は賢い動物なので、歩いている人をなぎ倒しながら突っ走ったりはしません。歩行者は馬車の通る隙をかいくぐって気軽に道を横断できていて、それが歩いて楽しい街並みを育てていたのです。

 

また、自動車が一般庶民に替えるようになりはじめた1910年代からすぐ街並みが衰退したわけでもありません。そのころは、同時に市街電車の普及期でもあり、市街電車が道のまん中を通っていたことが、人間が道を歩くための緩衝地帯となってくれていたからです。市街電車の駅は、鉄道駅と言うよりはバスの停留所と言ったほうがいいほど短い間隔で並んでいて、そこには何人か次の電車を待つ人たちがたむろしていました。

 

市街電車撤去前と撤去後の激変ぶり

この緩衝地帯が、クルマが通り抜けるだけの殺風景な街並みの形成を防いでいてくれたのです。アメリカでの私の故郷ボルチモアを例にとって、まったく同じ場所の市街電車線路撤去前と撤去後の写真をご覧いただきましょう。

 



 

ゲイストリートは、ボルチモア港のランドマーク、ワールド・トレード・センター付近から市街中心部を北西に通る大通りです。独立戦争が始まる30年も前の1747年という早い時期に、ニコラス・ラクストン・ゲイが近隣の道路測量をしたことにちなんで、こう名付けられました。

 

おそらくどこかの建物の中から写したのでしょう。室内照明がガラス窓に反射した光が映りこんでいるのが残念です。でも、「市街電車の栄光」と呼びたくなるのもわかる、華やいだ喧噪が聞こえてくるような写真です。

 

1904年のボルチモア大火をまぬかれたので、今でもこの通り沿いには古い街並みががそのまま残っています。ボルチモア港が栄えていたころのカネのかかった立派なビルですから、道を歩く人さえ多ければ、観光名所になっていたかもしれません。

 



 

そしてこれが、市街電車の線路を撤去してしまったあとの、なんとも索漠とした姿です。「ほんとにこれが、同じ場所だろうか」と我が眼を疑うほどさびれ果てています。

 

クルマ社会化したアメリカ都市の衰退ぶりをご紹介していきます。とくに、日本で暮らしているとめったに名前を聞くことのない中小都市のすさみきった光景は衝撃的です。クルマ社会化する前のアメリカでは、中小都市こそ都会の利便性といなかののんびり感を兼ね備えた、すばらしい場所だったのですが。


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