第5回連載まとめ読み用全編「劣等生にしか見えなかった日本が、じつは いちばん適応上手だった」1〜10

1.日本の現状は、金融業主導のサービス経済化が行き詰まる欧米よりひどいのか?



 S&P500株価指数は、今年の820日に初の3500ドル台乗せを達成している。ユーロSTOXX600でさえ、2000年の高値に何度も挑戦し、201912月にはついに415ユーロの新高値を付けている。それに比べてすでに1989年に39000円目前で大天井を打ってから、30年以上経っているのに、やっと大底から半値戻しにこぎ着けたあとは横ばいに終始している日経平均は、いかにも鈍重だ。もし、株価が経済を正しく反映したり、予見したりするものなら、日本は先進諸国で最弱の経済小国に転落してしまったという嘆きが出てくるのも無理はない。次の2枚組グラフをご覧いただきたい。

 



 

 上段は、第二次世界大戦直後の1949年から直近までの日経平均の四半期足、つまり3ヵ月を1単位とする四本値で示したものだ。このグラフでは陽線を赤、陰線を青に塗り分けている。一目瞭然と言うべきだろうが、1989年まではほとんど陰線が見当たらないほど一本調子に上げつづけ、1990年以降はたんに陰線のほうが多いだけではなく、一般的に陰線のほうが長めになっている。つまり、3ヵ月のうちにはかなり大幅な値動きがあるものだが、1990年以降の大きな値動きはほとんど下落で起きていたのだ。


 こうした長期のチャートを見てはため息をつくことが多かった日本株の投資家にとって、今年9月末に意外なところから朗報がもたらされた。それが、下段に掲載した「日経500という株価指数がついに1989年末に記録していた史上最高値を更新した」というニュースだ。日経500は機関投資家も、外国人投資家も、個人投資家もほとんど見向きもしない株価指数だが、日本の株価指数には珍しく、ひんぱんに銘柄を入れ替えている。


 この報道のあと、日本の株価指数にはあまり生存者バイアスがかかっていないから、欧米の株価指数に比べてパフォーマンスが極度に悪いのではないかという指摘もあった。生存者バイアスとは、生き残ったもの、大きく育ったものの比重が高まり、消え去ったもの、小さなままでとどまっているものの比重は下がるので、市場全体の動きを見ようとする指数には、どうしても生存し、大規模化した成功者重視の傾向が出ることを言う。


 たしかに、欧米の株価指数はひんぱんに落ち目の企業を外して、上り坂の企業を入れている。とくに長期にわたってわずか30銘柄で構成されたダウ平均が国を代表するほぼ唯一の株価指数だったアメリカでは、代表的な株価指数はひんぱんに落ち目の株を外し、上昇基調の銘柄に入れ替えている。つい最近も、S&P5001970年代から2000年代まで時価総額トップ5の常連だったエクソンモービルを外して、営業支援コンサルとソフトウェア開発に特化したセールス・フォーズに入れ替えると発表した。


 ところが、日経平均を構成する225銘柄はめったに入れ替えない。公式の理由は「指数の存続性を重視する」ということだが、実際には市場のバックオフィス機能がそろばんと電卓で遂行されていた時代の入れ替えに伴う実務処理の煩雑さがいや気されて、そのまま入れ替えを避ける伝統ができてしまったというだけのことだった可能性も高い。まあ、日本株の場合、銘柄入替の有無にかかわらず、1950年代から80年代までほとんどの銘柄が上げつづけるという夢のような環境だったわけだから、惰性を引きずるのも無理もないとも言えるが。


 サッカーにたとえれば、欧米のA代表は10代末から20代、30代のピークパフォーマンスが期待できる選手を選んでいるのに、日本だけが40代、50代の選手をずっとA代表に選びつづけているようなものだ。つまり国際試合の公式戦に、いまだに三浦知良、中村俊輔、遠藤保仁が現役で先発しているわけだ。サッカーにご興味のない方々には、あまりピンとこないたとえかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 

 「それにしちゃあ、日経平均はよく頑張ってるな」とさえ言えるのではないだろうか。ただ、欧米諸国が現役の名選手を送りこんでくる中で、日本だけが往年の名選手を先発させている影響はどのくらい深刻だろうか。その度合いを示しているのが、まさに下段のグラフだ。つまり、惰性で往年の名選手を先発させつづけた日経平均が、30年を費やして半値戻しにとどまっているのに対して、ひんぱんに銘柄を入れ替えている日経500は立派に全値戻しを達成した。


 だが、欧米を代表する株価指数のように1990年代初めに比べれば4倍とか6倍とかの水準で新高値を付けたわけではない。日本の株式市場の長期低迷は、代表的株価指数に生存者バイアスが反映されていないという理由だけでは説明できないほど重く、大きい。だからこそ、株価がいつまでも低迷する日本は、欧米に比べて経済全体として劣っているという言説が広く受け入れられているのだろう。


 「株価低迷は経済不振の証拠」という主張の根底には、株式市場が経済全体に果たす役割は未来永劫にわたって変わらないという思いこみがある。だが、さまざまな産業が経済に占める地位は時代の変遷とともに変わって行く。かつて全労働力の約8割を雇用し、全付加価値の67割を生み出していた農林水産業は、今では雇用で23%、付加価値で12%の小さな産業になっている。


 長く全労働力の4分の1以上を雇い、全付加価値の3分の1以上を生み出していた製造業は、いまや雇用で815%、付加価値で1220%程度の産業に縮小している。製造業の設備投資のための資金調達を最大の使命としている金融業界のシェアも、製造業の地位低下とともに、縮小に向かっていて当然なのだ。


 先進諸国の経済で、その避けることのできない縮小をすでに終えているのは日本だけだ。日本を代表する株価指数である日経平均は、大底でバブル絶頂期の約2割まで縮小し、その後の回復でもやっとピークの半値に到達したに過ぎない。つまり、世界中の金融業界の中で、製造業主導の時代に果たした役割の半分ぐらいの重要性しかない産業になったという事実を、いちばんすなおに受け入れた姿を示しているのが、日本の金融業界だとも考えられるのだ。


 それに比べて、欧米の金融業界は、今まさにドラスティックな縮小が不可避の局面に差しかかっている。どうせ一度は経験しなければならない試練なら先に済ませておいたほうが、絶対に得だと私は思っている。

 

2.だれか、アベノミクス好況を見たか?


 ただ、日経平均を見ても日経500を見ても、日本株は2013年まで20年以上にわたる長期低落傾向が続いた。それが2014年から回復に転じて、現状では日経平均でバブル前安値から最高値までの値幅の半値戻しを達成したし、日経500では史上最高値の奪回に成功している。世間的には、この回復は2012年に発足した第二次安倍晋三内閣の功績ということになっている。たとえば、次の2枚組グラフを使って、「安倍内閣は円安誘導によって輸出産業を回復させ、その結果株価が上昇した」といった解説をするわけだ。

 



 

 たしかに上段の米ドルの円レートは、安倍首相就任直後の96円から102円へと約6%円安に振れている。一方、日経平均はこれも就任直後の1万円割れから直近の23000円台へと150%以上の値上がりを示している。ただ、これが円安誘導政策のおかげという議論はまったく間違っている。日本の輸出産業の中でも、製品の品質が高い企業は円高・円安にかかわらず業績を伸ばし、製品に特徴のない企業は2割や3割円安に振れても低賃金の新興国企業にシェアを奪われつづけている。


 そもそも、エネルギー資源や金属資源をほぼ全量輸入しなければならない日本では、円安は確実に国民全体の生活の質と落とす。一方、日本経済の輸出依存度は先進国の中ではアメリカに次いで低く、円安で有利になる企業の経済全体に占める比率も低い。なぜ円安と日本株高が並行して起きていたかというと、円安になって輸出企業の業績が良くなって、その結果株価が高くなったのではない。因果関係は反対だ。


 外国人投資家が日本株を買う際に懸念するのは、売るときに円安になってしまって、為替差損で売却益が圧縮されることだ。この事態に備えて、ドルを円に換えずに、円を借りて株を買う。この手法を円キャリーという。なぜ円を買わずに借りることが、株式売却益を守る手段となるのかを具体的な数字でご説明しよう。


 アメリカの投資家が1万ドルを日本株で運用するとしよう。運用を始めた時点で米ドルの円レートが100円だったとしたら、100万円分の日本株を買うことになる。この株が120万円に値上がりしたところで売ったら、円ベースでは20万円の売却益が出ている。しかし、運用を始めるとき米ドルを円に換えてしまったとすると、もし米ドルの円レート120円(ドル高・円安)に振れていたら、120万円を米ドルに換えれば1万ドルにしかならない。売却益を為替損が帳消しにしてしまうわけだ。


 だが、米ドルを円に交換せず、100万円を借りていたとしたら、株を売って得た120万円のうち100万円と金利を貸し手に返せば、残額は手元に残る。米ドルに換えて回収してもいいし、引きつづき日本で運用することもできる。もちろん、1ドル120円のときに20万円をドルに換えれば、1666ドルになってしまうが、為替損で利益が消えてしまうよりはずっといい。つまり、米ドルを円に交換せずに円を借りることによって、円安リスクをヘッジできたわけだ。また、円キャリーによる日本株の運用は、円高に振れても損にはならない。


 前の例で言えば、120万円から100万円プラス金利を返済するところまでは同じだが、もしドルの円レートが80円に振れていたら、残金20万円弱を米ドルに換えて手元に残る金額はもっと大きくなるだけだ。20万円は2500ドルということになる。


 円キャリーで日本株を運用する投資家がいると、借りた円が流通する分だけ円の総供給量が上がるので、円安に振れる。逆に、日本株を売って手仕舞いしたら、借りていた円を返す。そうすると、円の総供給量が下がるので円高に振れる。


 外国人投資家がいっせいに日本株を売れば株価は下がる。と同時に、株を売って得た円のうちで借金の元本プラス金利分を返すので、その分だけ円の総供給量が減って円高に転ずる。


 一般商品でも金融商品でも大口の取引をすると、自分の買いで価格を上げ、自分の売りで売り値を下げてしまう傾向がある。だが、円キャリーで日本株を買えば、自分の買いで円安にしながら買い、売るときには自分の売りで円高方向にしながら売るので、ますます効率よく収益をあげることができる。


 政策誘導によって円安になったから株高に転じたわけではないし、政策誘導が効かなくなって円高に振れたから株安に転じたわけでもない。そもそも通貨は政策で誘導できるものではない。弱い通貨を政策で高くすることも、強い通貨を政策で安くすることもできない。


 国際的な経済危機が発生するたびに、円高に振れる。そうすると経済紙に決まり文句のように「安全通貨とされている円が上昇した」と書かれる。「とされている」のではなく、実際に安全通貨なのだ。日本円は金に次ぐ安全通貨で、米ドルよりはるかに価値が安定している。つい最近まではスイスフランも円同様の安全通貨と見られていた。だが、今年か来年のうちに、67年かけて世界中の株式市場の規模を半減させるまでは収束しない金融危機が勃発すれば、スイスフランはまったく安全ではなかったと判明するだろう。


 スイスの中央銀行であるスイス国立銀行は、潤沢な資金を外国株の運用で回して、高い収益性を誇ってきた。だが、そのポートフォリオは、純然たるモメンタム(値動きのいい銘柄)投資で、アマゾン、グーグル、アップル、マイクロソフトに極端に集中した構成になっている。もう少し規模が小さければ、こっそり売り抜けることも可能だろう。だが、もう世界中の投資家たちがスイス国立銀の一挙手、一投足に注目しているので、それも不可能だ。アメリカ株バブル膨張とともに運用資産が膨れ上がり、その崩壊とともに壊滅的な打撃を受けるしかないだろう。


 私は、安倍内閣は国際経済や為替市場については、まったく無策に終始したが、その無策が幸いして株式市場も本来回復すべきところまでは回復したのだと思っている。つまり、意図的な政策の成功ではなく、無策だったが故の怪我の功名だ。


 もちろん、政治家の業績は政策意図ではなく、結果で判断されるものだ。日経平均の半値戻しも定着したし、今後世界中で株式市場の規模が半減することになれば、枯れきった日本株市場も一時的ではあれ、相当下げる局面があるだろう。それを見越して、今年9月半ばに辞任した引き際はみごとだったと思う。

 

3.1989年末に天井を打った日本株バブルとはなんだったのか



 日経平均は1989年の大納会(その年最後の営業日)の終値で39000円にあと一歩まで迫ったが、1990年以降延々と下げつづけた。20093月国際金融危機の最終局面では、終値ベースでの最安値でかろうじて7000円台を維持したが、ピーク時の2割にも満たないほど下がっていた。この日本株バブルのスケールを、のちにアメリカで起きた2大株価バブルと比較したのが、次のグラフの上段だ。

 



 

 上段では、日本の株式市場全体を代表する日経平均のバブルと、その後アメリカの株式市場で発生した2大バブル、ハイテク株バブルと住宅株バブルを比較している。ここでは機械的にバブルの頂点より5年前からの株価の推移を示しているので、ピークまでの上昇率は3.4倍と比較的おとなしい数字になっている。ただ、バブル前の大底だった1982年の約7000円からの倍率で言えば、約5.6倍となる。


 しかし、アメリカのハイテク株バブルのときのナスダック100指数は5年間で10.9倍になっており、サブプライムローン・バブル時の住宅株指数は5年間で9.7倍になっている。こうした派手な急騰に比べれば、日本株バブルは小さなバブルだったという印象は否めない。


 日本の株価と地価が連動したバブルの膨張と、その後の延々と続くベア(下げ)相場を当事者として経験した私は、その印象は間違っていると感じる。アメリカの2大株価バブルでは、大暴騰したのは比較的狭い分野の株だけだった。ところが日本の株価バブルは、好調な部門だけではなく、斜陽化した産業まで全部ひっくるめて大底から5.6倍に上がっていたし、それと連動して首都圏・近畿圏の地価も急上昇していたのだ。


 結局、日本の株価・地価バブルの本質は、物価インフレから資産インフレへの世界的な転換点だったのではないだろうか。投資に回せる資金はどんどん増えているのに実体経済で有望な投資先が枯渇しはじめ、株とか土地とかを取りあえず金融商品として買っておいて、実体経済に有望な投資対象が出現するのを待つという投資スタンスが、このころ一般化しはじめた。そして、待っていてもなかなか実体経済に有望な投資対象は現れず、金融資産価格はどんどん流入する資金に押し上げられて、暴騰しつづける。


 その背景にあったのは、もうすでに製造業主導経済からサービス業主導経済への転換はかなり進んでいいたという事実だ。実体経済の中での投資需要が冷えこんでいたが、市場参加者はまだ実体経済側からの投資意欲の減少を過去に体験したことがなかった。だから、イケイケどんどんで株や債券のような純然たる金融商品や、実需商品でもあり、金融商品でもあるヌエ的な大都市圏の商業地に資金を投下しつづけた。


 この見方には、ふたつ実証的な根拠がある。ひとつは日本国債が、バブル崩壊直後の混乱期をのぞけば1980年代以降ほぼ一貫して世界中の国債金利の低下を先導してきたという事実だ。もうひとつは、バブルの最中でさえ、消費者物価の上昇率はせいぜい3%程度で、卸売物価にいたっては下落していたことだ。実需はあるのに供給が阻害されていたために投資需要が減少していたのではなく、実体経済では商品の卸売価格が下落するほどモノはあまっていたのだ。


 上の2枚組グラフの下段は、1999年に発行が始まった日本国債30年物は、日本をのぞく世界中の15年物以上の国債全部の平均値より金利が低かったことを示している。すでにご説明したとおり、国債の金利が低いということは、即金融商品としての国債価格が高いことを意味する。つまり、バブル崩壊後も一貫して、日本は確定金利を受け取ることのできる金融商品の価格がつねに高水準で推移してきた国であり、資金を借りたり、起債したりする側にとっては安く大量の資金が調達できる国でありつづけたのだ。


 それでもなお、実体経済での投資意欲は低迷しつづけていた。たしかにこれは、人類が初めて遭遇した事態だった。ただ、この事態を論理的に予測していた人はいた。近代経済学の始祖とも言うべきアダム・スミスだ。『国富論』とも『諸国民の富』とも訳される主著でスミスはこう言っている。


 平和で豊かな国ほど、企業利益率も一般利子率も低い。高収益が得られる事業にはどんどん新規参入があり、競争の激化によって企業利益率は低下する。債務を背負って経営規模を拡大する企業経営者にとって、借金の元利返済の原資は企業利益しかないので、利益率が低下すれば、利子率一般も低下する。あらゆる商品は安く潤沢に供給されるようになるので、物価も下がる。だから、オランダはイギリスより金利が低く、イギリスはスペインより金利が低いのだ。


 日本はアダム・スミスが遠い将来の理想社会と考えた、企業利益率も、一般利子率もインフレ率も限りなくゼロに近づく経済に向かって、世界で最初の一歩を踏み出した国なのだ。

 

4.慢性的過剰設備と投資低迷の中で、株式投資家はどう生きるのか


 今後の世界経済も、設備稼働率は高くて70%、低ければ60%割れという状態が続く。当然新規投資も盛り上がらない。そうなると、企業にとって自社の株が高くなることの最大の利点である、より良い条件で起債や借り入れによる資金調達ができることの魅力も減少する。アメリカの投資家たちがいっせいに「もう設備投資や研究開発に無駄ガネを遣わず、なるべく早くすでに蓄積した解散価値を先払いしてくれ」と要求しているのも、背景に慢性的な投資の低迷があるからだ。


 解散価値とは、企業が保有している資産総額から、返さなければいけない借金の総額を引いたものだ。つまり、今すぐ事業活動をやめて負債を消し終わったら、いくら資産が残るかを示す概念で、自己資本とほぼ一致する。株主が自社株買いを歓迎するのは、「安全確実に売り抜けられる」ことをふくめて、将来の成長展望より、現に存在している蓄積をなるべく目減りしないうちに金銭化したいからだ。


 株式市場がここまで未来志向を捨てた中で、株式投資家はどんなスタンスで臨むべきだろうか。これはもう、売り一辺倒に尽きる。まだ評価益が出ているうちに打って、実現益にする。もう買値より下がっていても、なるべく実現損が小さくて済むうちに売り切る。辛抱強く待っていれば回復するだろうという幻想を抱かない。


 なんとも味気ないスタンスで、こんな夢のない「投資」戦略を長年にわたって維持できる投資家などひとりもいるはずがなさそうに思える。ところが、この戦略を1970年代以降約半世紀にわたって、貫いた投資家グループがいる。それが、日本の個人投資家たちだ。


 戦後の復興期、まだ大都市中心部の大部分が焼夷弾で焼き尽くされた焼け跡で、そこに出現する闇市だけが復興の気配を感じさせる明るい兆しだったころ、日本株の約3割は銀行を中心とする旧財閥グループの相互持ち合いで、残る7割は個人投資家が持っていた。欧米人の大半が「資源のない日本は二流、三流の農業国に転落する」と確信していて、わずかに残された産業基盤や企業を安く買いたたくことさえしなかった時代だ。日本経済の復興を信じていたからこそ、なけなしの持ちガネをはたいて日本株を買ったのだろう。


 その後、日本株がじり高基調に転じた1970年代初頭にはもう、基本的に売りのスタンスに転じていた。そして、もっとも、彼らでさえ日本列島改造論ブームのときと、株価・地価バブルのときには、やや買いに傾いて手ひどい打撃を受けた人もいたが、それも個人投資家の中では少数派だった。バブル崩壊以後は、ほぼ一貫して売りに徹している。とくに、外国人投資家が買いはじめると必ず売り向かって、確実に実現益を出している。この退却戦のみごとさは、次のグラフによく現れている。

 



 

 2012年を境にグラフが二つに分かれているのは、この年から日銀が日経平均連動型上場投資信託(ETF)を大量に買うようになって、従来どおりの投資主体分類では実情に合わなくなってきたからだ。左から見ていくと、外国人投資家が買うと日経平均も日本株市場の時価総額も上がり、売ると下がるというパターンが確立されていることがお分かりいただけるだろう。1991年だけは、まだ日本の株価・地価バブル崩壊の深刻さを読み切っていなかったので、まだまだ下がるタイミングで買い出動してしまったが。


 その後の日本株は日経平均が1万円を割りこんだら底値圏、2万円を超えたら高値圏という、じつにわかりやすいレンジ内で動いている。前々回外国人投資家による円キャリーでの日本株買いの仕組みをご紹介したとき、「売り買いのタイミングを間違えたら、ヘッジの有無にかかわらず損をするのではないか」と思われた方もおいでだろう。


 だが、これだけわかりやすいレンジで動いているので、少なくとも45年日本株を扱っている投資家が買いに入ったり、売り抜けたりするタイミングを間違うことはほとんどない。底値圏にさしかかったころから少しずつ買いを入れておいて、底値を確認したころわざとらしく大口の買い注文を出す。同じように納入業者リストだって売れるかもしれない。だがそれは買い手にすると判で押したように日本の機関投資家が追随して買い上がってくれるので、安心して高値で売り抜けることができる。高値づかみをした日本の機関投資家は、その後の暴落時に安値での損切りを迫られる。


 ご注目いただきたいのは、こうして日本の機関投資家が外国人投資家のカモにされているあいだ、日本の個人投資家は昔から持っていた株を売って着実に実現益を出していることだ。2012年以降は、相場が崩れかけると日銀が日経連動型ETFを大量に買って支えてくれるので、日本の機関投資家が安値で損切りを迫られることはなくなった。だが、外国人投資家は安値で買って高値で売り抜け、個人投資家は確実に利益の出る売り方をし、機関投資家は外国人投資家のカモにされつづけるという日本株市場の基本構造は変わっていない。このパターンが約30年間続くとどんなことが起きるだろうか。それを鮮明に浮かび上がらせてくれるのが、次のグラフだ。

 



 

 この上下2段組グラフは、先ほどの個人投資家はほぼ毎年売り越しつづきで、外国人投資家は安く買って高く売っていて、日本の機関投資家は高く買って安く売っているという構図との関連でご覧いただくとわかりやすい。まず目立つのは、上段で個人投資家の保有総額シェアが、あれだけ毎年のように売り越してきたにもかかわらず、約20%から約18%へと微減しただけだということだ。


 次に、機関投資家と一般事業法人をふくめた法人のシェアは、信託銀行をのぞいて軒並み下がっている。信託銀行が約10%から約18%へと伸びているのも、自己勘定で買っているのではなく、年金事業法人や日銀が大量購入するようになった株を信託財産として預かっているだけだ。


 生損保のシェアが約16%から約6%へと下がっているのは、下段を見ると20世紀末ごろにはほとんどあきらめの境地に達してしまって、売買をしなくなっていたので、持ち株の価格が下がるにつれてじりじりシェアも下がっていたのだと言える。都銀・地銀については、生損保とほぼ同じ16%くらいから約4%までシェアが下がっている。こちらは1998年ごろには取引総額の30%ぐらいを売買していたし、その後もそこそこ取引にかかわっているので、ひたすら相場が下手だったとしか形容のしようがない。


 なお、日本の銀行にとって株や債券の運用がいかに魅力のないものかについて、おもしろいエピソードがある。2015年の上場直後には人気が殺到したゆうちょ銀行(旧郵便貯金)は、昔は企業への融資が全面的に禁止されていたし、今でもいろいろ制約が多い、そこで、全社収益の約7割を株や債券の運用で得ている。一方、メガバンク各社は、運用益の全社収益に占める比率を1割前後に抑えている。その結果、メガバンクは自己資本利益率が4%台後半に達しているのに夕諸銀行の自己資本利益率は2%台半ばに過ぎない。


 一般に広く世諸金を集めることが許されている金融機関は、預貯金額が膨大になるので、自己資本比率が低くなる傾向がある。その中でゆうちょ銀は自己資本比率が約15%と、他行に比べて高いほうだ。それでも、ほとんど金利負担ゼロで預かっている貯金などで8倍のギアリングをかけて運用している。それでも自己資本比率が2%台半ばというのは、総資産利益率にすれば零コンマ何パーセントという水準なのだろう。


 ここまで低収益体質のしみついた旧国有金融機関を、今さら上場しようとするのは、なぜなのだろうか。いずれは露見する巨額損失を国だけで背負いこんだのでは荷が重すぎるから、なるべく大勢の株主に負担してもらおうという魂胆ではないかと勘繰りたくなる。

 

5.大衆が賢く、知的エリートが愚鈍な国のありがたさ


 こうしていまや、外国人投資家は投資主体別で最大の日本株時価総額の32%近いシェアを保有し、売買代金のシェアではじつに64%弱に達することになってしまった。日本の機関投資家がもうちょっと賢ければ、ここまでやすやすと同じ手口で何度も儲けさせてやらずに済んだのではないかという気もする。


 だが、アメリカの機関投資家ほどずる賢くなって、成熟した自国の実体経済はそっちのけで、中国への投融資でぼろ儲けするようになっていたら、日本社会もアメリカのように殺伐としていたかもしれない。そういう意味では、日本の機関投資家がお人好しで愚鈍なのは、日本社会全体を平和に保つために払っている、価値のあるコストだとも言える。


 次のグラフを見ると、個人投資家は売りつづけ、外国人投資家は安いうちに買い、機関投資家は高くなってから買うという日本株市場の構図は、直近でもまったく変わっていないことがわかる。

 



 

 外国人投資家が売りに回ってからは、買い方には年金事業団や日銀の株を預かっている信託銀行と、個人の信用買いだけだというのは、ちょっと気がかりだ。個人投資家の中でも、「自分は経済金融情勢もわかっているし、借金をテコにして、効率よく儲けることもできる」と思っているような人たちが買っているわけだ。


 日本社会のあらゆる面で言えることだが、「仕組みのわからない取引はしない。なんでも安く買って高く売っておけば間違いはない」と考える素朴な大衆は健全だ。なまじ中途半端に経済紙を読んで、「これから5倍、10倍になる有望銘柄」などという記事を真に受けてしまう「知的エリート」のほうがずっと危ない。日銀の買い支えがなくなったら一挙に暴落する市場で相場を張っているのだということを忘れないでいただきたいものだ。


 全体としてみれば、健全な大衆が多い日本経済の強さは、とくに高度経済成長が終わって、GDP成長率が12%に低迷するようになってから、際立ってきた。次の上下2段組グラフをご覧いただきたい。

 



 

 上段は、19622019年の日本の実質GDP成長率推移を示すグラフだ。やはり、1974年の第1次オイルショックと『日本列島改造論』ブームの崩壊の景況が甚大だったことがわかる。なお、この点については、いまだに『日本列島改造論』が掲げた政策目標は良かったが、たまたまオイルショックによる狂乱物価に見舞われたため、頓挫したといった好意的見方が多い。だが、どんどん雇用が創出されて人手不足で困っている都市圏への人口流入を抑制して、職がなくて困っている人が多い地方に人口を還流させようという根本的な政策目標が間違っていたので、成長率が急落したのも当然だった。


 1994年以降について、このグラフの作者は「ずっとゼロ成長が続いた」と書いているが、これはいかになんでも誇張が大きすぎる。毎年ほぼ12%の実質成長は確保していた。この水準はヨーロッパ諸国と比べてそれほど見劣りするものではない。ヨーロッパ諸国は、もう完全に文明としての衰退期に入っているので、そこと比べて見劣りしない程度ではあまり威張れた数字でもないが。


 1990年代半ばからの大減速の最大の理由が何かは、あとで解明する。それはそれとして、これだけ成長率が低下しても下段に掲載した家計金融資産残高がじり高基調を維持してきたのは、やはり日本の個人世帯が慎重で手堅い家計運営をしてきたたまものだろう。ご覧のように株式等のシェアはほぼ一貫して1割未満で、それに債務証券と投資信託を加えた、運用の巧拙とタイミングの良しあしで大きな変動の出る金融商品全体のシェアも10%台半ば程度に保っている。


 もし、高度成長期とか、バブル膨張期とかにこの部分のシェアが3割以上になっていたら、日本の個人家計金融資産残高は、いまだにバブルのピークだった1989年の水準を超えていないかもしれない。一番下の預貯金のシェアが200405年あたりはほぼ50%だったのに、直近では明らかに50%を超えているのも、今後世界経済が直面する激動を予見していたようで頼もしい。「プロの運用」のすさまじい拙劣さを平然とやりすごして「貯蓄から投資へ」と主張するような政治家の発言を真に受けていたら、とうていこれほどの金融資産は蓄積できなかっただろう。

 

6.問題山積の年金制度も、諸外国に比べればずっとマシ


 日本の国民年金・厚生年金を管理運営している年金事業法人は、過去にも何度か巨額損失を出してきた。だが、2020年第1四半期には、過去最大の約18兆円の損失を計上している。コロナ騒動で世界中の金融市場が暴落した影響があったとは言え、あまりにも大きな損失だった。次のグラフの上段に2012年第2四半期~2020年第1四半期の損益額推移が出ている。

 



 

 年金事業法人は、2014年まで運用総額の60%を日本国債に振り向け、日本株・外国株はそれぞれ12%をメドに運用していた。それが国債金利の急落を受けて突然、日本株、日本国債、外国株、外国債それぞれほぼ4分の1で運用することになって、リスクの大きな資産を運用する訓練があまりできていないうちに株式運用を大幅に増やしたという経緯がある。


 ふつうなら、徐々に運用ノウハウを蓄積していけば、今後はそれほど大きな損失は出ないだろうということになる。だが、問題は今後世界中の先進国で、日本がすでに経験したような株式市場の大収縮に見舞われる可能性が高いことだ。どんなに運用技術が高まっても、市場全体が暴落している最中は、とくに巨額資金の運用担当者には逃げ場はない。


 ただ、こういう場合見落としがちなのが、日本もかなり困っているが、諸外国の年金問題は、もっとひどいという事実だ。その比較をしたのが、下のグラフだ。まず、2005年時点で、すでに給付を確約している金額に対する年金資金蓄積の未達分がアメリカの22兆ドルに対して、日本と中国が同率2位の11兆ドルとなっている。人口比率と所得比率をからめて考えると、現状で日本と中国にはあまり大きな差はなさそうだ。


 しかし、2050年までにこの未達分がどう増えるかを見ると、日本は小鬼登場する8ヵ国の中で、いちばん増加率が低いと予測されていることがわかる。もちろん、金融市場に激変がなく、年金受給資格者や年金を払い込み中の人たちの人口構成にも大きな変動がないなどの仮定の上での予測だ。だが、日本国民全体として比較的決められたルールを守り、制度のただ乗りを嫌う傾向があるので、ほぼ順当な予測になっていると見ていいのではないか。だとすると、未達額が今後年率10%で伸びるインドや、7%で伸びる中国はもちろんのこと、45%で伸びる先進諸国と比べても、わずか2%の伸び率にとどまると予想される日本の立場は強い。


 日本経済について深刻な問題のひとつとされているのが、国家債務の対GDP比率の高さだ。コロナ騒動への対応をめぐっても、コヴィッド-19の感染者数や犠牲者数は低いが、もともと国家債務が大きかったところへの積み増しになるので、大きな重荷となることを警戒する向きもある。たとえば、次のグラフに見る財政負担の大きさだ。

 



 

 上段が日本、アメリカ、中国、EU加盟国のコロナ対策の財政規模であり、下段がそれによって同じ3ヵ国とEU諸国の国家債務がどう変わるかを示すグラフだ。まず、上段では日本のコロナ対策予算が非常に大きく見えるが、これはあまり真剣に懸念すべき問題ではない。日本政府は、財政刺激パッケージを打ち出すとき、最初に大きな金額を提示しておいて、じつはすでに確保してある予算の組み換えだったり、年度中に全額実施するわけではなかったりといった小細工をすることが多い。


 だからこそ財政刺激策が国会で討議されるたびに、「真水でいくらか」という議論が出てくるわけだ。パブリシティ的にはむしろ、尻つぼみの印象になって損だと思うが、性懲りもなく見出しだけは大きいが内容空疎な金額が打ち出される。


 下段のほうは、もう少し真剣に考える必要がある。コロナ以前から、日本政府の債務総額はGDPの約2倍とあまりにも大きく、それが2.6倍近くになるのは、やはり大問題と思える。だが、これもよく考えるとあまり深刻な問題ではない。日本の発行済み国債残高の約半分は、金融機関にカネをばらまくために、日銀が金融機関から買い上げたものだ。日銀は金利が欲しくて国債を買っているわけではない。だから、日銀保有分については、日銀が財務省に対して「債権放棄をする」と言えば、残高はたちどころに半減する。


 債権放棄という表現が穏当でないということなら、日銀保有分の国債については、償還期限が来るたびに財務省が無利子の永久債を発行して、借り換えをおこなえばいい。財務省にとっては未来永劫にわたっていっさい金利支払いをしなくていい「永久債」を日銀に持たせているだけなので、実際的な財政負担軽減効果は日銀に債権放棄をしてもらったのと同じことになる。


 というわけで、国家の債務負担という意味では、日本が他の先進諸国に比べて取り立てて重い負担を背負っているわけではない。また次のグラㇷで確認できるが、政府債務以外の民間企業や家計の債務は、日本は先進諸国の中ではむしろ小さなほうに属する。




 

 政府債務、非金融企業債務、家計債務の合計額では、日本はルクセンブルク、香港に次ぐ世界第3位となっている。ただ、政府債務をのぞく民間総債務となると、このグラフでは下からふたつの部分の合計額となる。そのうち上の黄色の部分のてっぺんに水平線を引くことによって、民間総債務の大きさを諸外国と比較できる。ここに収録された諸国の中で日本は1719位あたりになっていて、ほとんどの先進国より下に位置する。その上に乗る政府債務は実質的に約半分なのだから、やはり総債務の対GDP比率は日本にとってあまり大きな問題ではない。


 だが、巨額の国債発行によって財務省が調達した資金で何をしているかが、日本の経済成長率が1990年代半ば以降急落したこととなんらかの関係があるのではないかという疑問は残る。日本は、生活インフラや生産インフラが極度に劣化しているわけでもなく、低所得層でも家を出るのが怖いような場所に住まざるを得ない人はほとんどいない。なぜ実質GDP成長率12%状態にとどまっているのだろうか。


 私の見立てでは、サービス主導経済で成長を減速させる最大の要因は過剰投資だ。どこでだれが日本の経済成長を低めているのか、犯行現場と犯人を探しに出かけよう。

 

7.日本の固定資産投資額の対GDP比率は工業化後発国並み


 まず、200817年の9年間でG7諸国の設備投資がどう推移していたかをチェックすることから始めよう。次のグラフの上段は、2008年第1四半期を100とした指数表示で、固定資産投資額の累積変化率を示している。

 



 

 アメリカ、イギリス、ドイツが国際金融危機以降、ほぼ一貫して固定資産投資を増やしていた。カナダはこの危機からいち早く抜け出して、かなり大幅に固定資産投資を伸ばしたが、その後減少に転じて、2017年第2四半期では日本同様ほとんど横ばいに近い微増となっている。フランスは結局2008年水準に届かない微減にとどまった。201315年のユーロ圏ソブリン(国債)危機の影響がG7諸国で最大だったイタリアは、固定資産投資が2008年の7割に下がってから、ほんの少し回復しただけだ。このグラフを見るかぎり、日本の固定資産投資がとくに過大だった形跡はない。


 下段は、同じ期間内で固定資産投資の対GDP比率がどう変化したかを示したグラフだ。こちらは、日本の固定資産投資が25%弱と初めからG7諸国最大で、途中3位まで後退したことがあったが、最後にはまた最大に戻っていることがわかる。つまり、日本は国際金融危機に突入した時点で、すでにG7注最大の固定資産投資をしていた国だったのだ。この25%弱という数値は、もっと多くの国々との比較で見るとどういう位置にあるのだろうか。次の表をご覧いただきたい。




 

 19972017年という20年間の平均値で測ると、OECD加盟30数ヵ国の中で日本はスペインと同率の7位だ。日本より上位に位置するのは、唯一30%台の韓国も、その下の旧ソ連東欧圏5ヵ国も、工業化で先進諸国には後れを取っていた国々だ。つまり、日本の固定資産投資額のGDPに占める比率は、キャッチアップ途上の国々と同じ水準にいることになる。明らかに、サービス主導型経済に転換した国々の中では過大な投資をしているのだ。その過大な投資は主として製造業でおこなわれているのだろうか。


 各国粗固定資産投資の対GDP比率をもう少し細かく分類したものと、資本装置の平均年齢推移というふたつの角度から、検討してみよう。まず、次の表から見ると、日本の粗固定資産投資の内訳には、とくに怪しげなところは見当たらない。

 



 

 同じ20年間でOECD諸国の粗固定資産投資がどんな分野で行われていたかを示す表だ。まず日本の住宅建設は、粗固定資産投資総額の15%を切っていて、かなり低い位置にある。これだけ少子高齢化と家あまりの時代になったのだから当たり前だが、バブル期に建設・住宅・不動産担当のアナリストをしていた身としては、まさに隔世の感がある。


 住宅以外の建物・構造物では30.8%と、20%台半ばが多い先進諸国の中でやや高めだ。だが、イギリスが33.2%になっているので、突出して高いわけではない。その他機械・器具の28.4%は、まさに先進諸国の中団、密集地帯にいる。この分野では、旧ソ連・東欧圏諸国や南欧でもとくに工業化が遅れていたギリシャは30%台後半から40%台になっている。


 きっと知的財産投資への移行が遅れているだろうと思っていたのだが、日本は、ここで意外に検討している。スウェーデンの27.7%とアメリカの23.8%が突出した1位、2位で、日本の20.8%は団子状態で3位グループを形成している8ヵ国中の、ちょうど真ん中に当たる数字だ。むしろ、アメリカの23.3%にもかなりうさん臭い詰めものが混じっているので、それよりさらに4ポイント以上高いスウェーデンの27.7%にも怪しいものがありそうな気がする。

 

8.生産装置の平均年齢は好ましい推移を示している


 さて、粗固定資産投資の内訳からは有力な手掛かりが得られなかったので、日本製造業の資本装置が若すぎたり、老けこみすぎたりしているのではないかという疑惑を検証してみよう。

 



 

 これは、19世紀末から2015年までという長期にわたって、生産過程に投入されている資本装置の平均年齢を調べたグラフだ。G7の中でイタリアとフランスはそこまで長期にわたるデータがなかったので、代わりにオランダをふくむ日米欧6カ国で構成されている。


 9世紀末からほぼ一貫して、日本は1生産過程に投入された資本装置の平均年齢が非常に若い国だった。第二次世界大戦中から終戦直後と1990年代以降以外は、平均年齢の若さがトップか2位に位置していた。つまり、製造業主導経済だったころは、平均年齢の若い資本装置でモノづくりに励み、サービス業主導になってからは、ゆるやかに資本装置の高齢化を許すという理想的な資源配分をしてきた国だと推定できる。


 このグラフは、カーブが錯綜して見にくいところがある。そこで、同じデータからさまざまな意味でフシ目の年の数値をいくつか選び出したのが、次の表だ。




 

 こうして数値にしてみると、1919年の4.0歳、1971年の3.9歳という日本の資本装置の平均年齢が、他国の追随を許さない圧倒的な若さだったことがわかる。そして、これだけ若く性能もいい製造装置が首都圏、近畿圏に集中していた時期に、1973年に刊行された『日本列島改造論』で工業拠点の地方移転の旗を振った田中角栄は、犯罪的な愚策を提唱していたこともわかる。


 そのほかで目立つのは、ヨーロッパ4ヵ国が共通して、1971年から1989年にかけて資本装置年齢の大幅な上昇を記録していることだ。この中で、イギリスだけはサッチャー改革の「製造業を捨て金融業に特化する」という意図的な政策の結果だったろう。だが、ドイツ、スイス、オランダはヨーロッパのその他諸国の製造業があまりにも弱体なので、つい気をゆるめてしまって、設備高齢化を放置していた可能性が高い。


 とくに、ドイツの資本設備平均年齢は1971年の5.3歳から1989年の10.7歳へと5.4年も老化している。ドイツの工業力低下に関しては、東ドイツというお荷物を吸収したのが主因だとする説が一般的だ。だが、その前から生産設備の老化は進んでいたのではないだろうか。

さて、ほかでは少なくとも7年の間隔を開けているのに、1989年と1992年はたった3年の間隔しか取っていない。これは、「このふたつの年のあいだのどこかで、製造業主導型経済からサービス業主導型経済への大転換が起きた」という私の仮説を検証するために選んだからだ。


 さて、日本は1989年でも5.1歳と他の5ヵ国より若かった資本装置の平均年齢を、1992年にはさらに4.8歳まで下げてしまった。だが、その後は一貫して高齢化を放置している。これは、製造業ほど資本装置の若さや性能が生産過程の効率化に大きな影響を及ぼさないサービス業主導経済では、妥当なあり方だと言える。逆に1989年から、92年、さらに2000年にかけて資本装置の大幅な若返りを図ったドイツやオランダは、前時代の固定観念にとらわれた設備投資戦略を持っていたのではないか。


 2000年から08年にかけては、もともとかなり老朽化した設備を使っていたスイス以外の5ヵ国全部が、設備を高齢化させている。つまり、世界中の先進国が、もはや設備投資が牽引する経済ではなくなったことに対応した行動様式に切り替えていたのだ。


 アメリカでこの時期に勃発したバブルは、サブプライムローン・バブルと呼ばれている。投機的資金が、生産設備ではない住宅と金融商品に集中したからだ。これも、設備投資が「儲かる」投機の対象ではなくなったことを、金融市場が知っていたからだろう。

 

9.工業生産高がイギリス並みに停滞するのも困りものだが……


 1970年代末に政権を握ったマーガレット・サッチャーの号令一下、製造業の弱小企業を大幅に刈りこみ、金融業強化で復権を図ったイギリスは、一見サービス経済化の波にうまく乗った感がある。だが、再三述べてきたように、金融業は強い製造業なしには経営規模の拡大も収益性向上も望めない業種だ。結局、サッチャー改革は、それでなくても弱かったイギリス製造業をさらに弱体化させた。次の2枚組グラフが、製造業弱体化の実情を物語っている。

 



 

 上段は、1997年から2017年までの20年間、イギリスの固定資産投資がOECD加盟30数ヵ国の中で何番目に位置していたかを示している。第10百分位は100ヵ国の中で91番目に当たるので、30数ヵ国の中での順位はビリから3番目か4番目ということになる。イギリスは2012年までビリかブービー賞、その後やや順位を上げてビリから34番手の位置を争っているわけだ。


 これだけ固定資産投資が弱ければ、当然製造業生産高も低迷する。下段には、19682020年のイギリス製造業の生産高指数が出ている。サッチャー改革が定着した1988年以来、ほぼ完全な横ばいで終始していたが、コロナ危機直前に急落しはじめ、コロナ危機が下げ幅を拡大していたことがわかる。この製造業の停滞は、金融業特化によって急上昇したはずの労働生産性にも影響を与えている。次のグラフだ。

 



 

 日本、アメリカ、ドイツ、イギリスの先進4ヵ国と、韓国、中国、インド、ブラジルの新興4ヵ国の時間当たり労働生産性を、19502017年という長期にわたって追跡したグラフだ。1990年代半ばに一時日本に追いつかれたイギリスの時間当たり労働生産性は、その後急上昇に転じたが、国際金融危機以降また成長率が鈍化し、なんらかの分野の過剰投資の累積によってなかなか生産性が上がらない日本にまた差を詰められている。


 アメリカとドイツのあいだでは、ちょっと違う構図になっている。サービス業主導型に転換したアメリカの労働生産性伸び率は、一貫して製造業主導型を守りつづけるドイツより低かった。だが、国際金融危機以降伸び率がさらに鈍化して、2015年か16年にはとうとうドイツに抜かれてしまった。英米とも、危機で金融業の生産性が低下したのも一因だろう。だが、製造業弱体化の中での金融業の成長は、工業化途上の後発国への投融資で高収益を稼ぐ以外の道はないのに、中国の設備投資成長率が鈍化していることが最大の原因だろう。


 たとえ時代遅れであっても、製造業に特化しつづける国々のほうが、サービス業主導型経済に転換した国々より労働生産性の伸び率は高い。ドイツや韓国の例が示すとおりだ。サービス業主導型経済で時間当たり労働生産性を上げるには、一般庶民が気に入ったサービスには惜しげもなく高い代金を払いたくなる社会的・文化的環境を醸成する必要がある。もはや許されざる差別表現だが「女房を質に入れても、初鰹を食う」気っぷが、サービス業経済の労働生産性向上には不可欠ということだ。 


 幸い、平和で安全で、商品もサービスも数え切れないほどの選択肢がそろっている日本の大都市は、そのための最短距離にある。

 

10.政府直接投資額の対GDP比率は世界最悪の高さ


 さて、日本経済を万年低成長に陥れた真犯人と犯行現場を捜す旅も、終着駅にたどり着いた。次の簡単な表が答えを教えてくれる。

 



 

 日本政府の粗固定資本形成がGDPに占める比率は、G7諸国の中で突出して高い。6.0%は、同率2位のアメリカ、フランスの3.9%の1.54倍に当たる。粗固定資本形成の官民比率も、日本だけ官公庁発注が24.1%と20%台半ばで、2位アメリカの18.7%を大きく引き離している。


 「なんだ。もったいぶった書き方であちこち引きずり回しておいて、蓋を開けてみれば、だれだって思いつく平凡な真犯人じゃないか」とお怒りの向きも多いだろう。昔、建設業界アナリストとして、官公庁発注工事の非効率性について口を極めて批判していたのに、なんでこんな当たり前の結論をもっと早く思いつかなかったのかと、自分の不明を恥じるばかりだ。


 日本には1966年に制定された、官公需法という稀代の悪法がある。アメリカで1946年に制定された「ロビイング規制法」という名の贈収賄奨励法に匹敵する、経済全体の構造をゆがめる法律だ。この法律は「中小企業の保護育成」を名目に、「官公庁が発注する全工事、購入する物品、サービスのすべてにわたって、一定のパーセンテージを中小企業に発注しなければならない」としている。発足当初20%台だった中小企業への発注目標は、2020102日付で、なんと60%の大台に乗せてしまった。


 私は、中小企業一般を批判する気は全くない。建設業界にもきちんと良心的な経営をしている中小ゼネコンはたくさん存在している。だが、健全な中小ゼネコンは政府の介入を警戒しているから、官公庁からのあてがいぶちの発注はなるべく取らないようにしている。「法律で決まっているから」という理由で中小に発注された工事を喜んで取りに行く「ゼネコン」の大部分は、入札事務担当者と社長ふたりだけでやっていて、受注工事は即施工能力のある大手ゼネコンに丸投げする(これを業界用語で上請けと呼ぶ)悪徳利権業者が大半だ。


 当然、この連中がピンハネする分だけ工事の効率性、収益性は低下する。ゼネコン業界が、好採算工事も赤字工事も順繰りに受注する談合体質から抜け出せない一因も、この利権集団による受注から上請けという構造で中間搾取されているための低利益率を、何とか業界全体で平準化して仲良く生き延びようということにある。もちろん、それだけではないが。


 なぜこんな悪法がいつまでも存続するのだろうか。まず、官公需法が廃止されたらたちまち飯の食い上げになる中小零細企業の多くが、選挙のたびに自民党のために票集めをする。この法律が施行されるまでは、確固とした管轄領域を持たなかった旧通商産業省(現経済産業省)は、全産業分野を横断する中小企業の「保護者」として旧来の産業分類を横断するような政策の立案過程を牛耳るようになれた。そして、もちろん自民党政権は、農協や官公需受注に特化した中小企業のような、政権に守ってもらわなければやっていけないひ弱な集票組織が大好きだ。


 ひとつ卑近な例を挙げよう。私にはかなり長い付き合いになる広島市在住の友人がいる。何かの拍子に、「なぜ広島市は、カープが郊外に立派な球場を造って出ていった広島市民球場の跡地を、J1リーグのサッカーチーム、サンフレッチェ広島の第2スタジアムにしなかったのだろうか」と尋ねてみた。ご存じと思うが、旧市民球場は広島市街の中心部に近く、すぐそばを通る新幹線の轟音が聞こえるほど公共交通機関の便のいい立地だ。


 あそこに第2スタジアムを造って、現在のやや郊外にあるエディオンスタジアムは多少不便でも来てくれる観客の多い好カード用に使い、ちょっと集客力の弱いカードは利便性の高い第2スタジアムで開催すれば、サンフレッチェの入場料収入も、広島市の地代収入も上がるはずだからだ。現状は、妙に芝生や植栽のスペースが多い不定期の催事用広場で、お祭り騒ぎのないときは閑散としている。


 友人の話は、まさに眼からウロコだった。日本のように雑草の繁茂しやすい環境では、植栽や芝生は恒常的な剪定、間伐、草むしりを必要とする。広島球場規模になると、中小園芸業者数社、十数社が親子二代、三代にわたって安定収益を得られる利権になる。建物や構造物では、それほど頻繁にカネの落ちる利権にはならない。


 だから大都市中心部でいくらでも収益施設が建てられそうな大規模な空き地が出るたびに、疑似的な「緑あふれる自然環境」が造られ、園芸業者と地方自治体の役人、そして地方議員のコネが深まるのだそうだ。これまた、そんなことも知らずに建設業界アナリストをやっていたのも、うかつな話だ。


 官公庁発注工事という非効率の塊がGDP6%も占めていたのでは、日本経済が慢性的な低成長に転落するのは当たり前だ。そして、日本経済が万年低成長に転落した199394年は、日本国債の発行済み残高の伸び率が加速した転換点でもある。日本政府がいくら国債を乱発しても、日本国の財政構造は安泰だという主張は、今でも正しいと確信している。だが、政府は国債でかき集めたカネをどこかで何らかの用途に遣っているはずだ。その遣い方が非効率なら、日本経済の成長率が低下することに気づかなかったのは間抜けだった。


 原因がわかれば、対応策も簡単だ。まず公共事業のみならず、官公庁が購入するあらゆる物品・サービスを割高にしている官公需法を全廃する。また、国債という借金を背負いこんでまで公共事業を増やす必要はない。官公庁は最低限の予算で仕事をし、減税によって働く人々が自分の裁量で消費するモノやサービスに遣える金額を多くする。それがサービス主導型経済における最良の景気刺激策だ。


-完-

 

 

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