第5回 1/10「劣等生にしか見えなかった日本が、じつは いちばん適応上手だった」

日本の現状は、金融業主導のサービス経済化が行き詰まる欧米よりひどいのか?



 S&P500株価指数は、今年の820日に初の3500ドル台乗せを達成している。ユーロSTOXX600でさえ、2000年の高値に何度も挑戦し、201912月にはついに415ユーロの新高値を付けている。それに比べてすでに1989年に39000円目前で大天井を打ってから、30年以上経っているのに、やっと大底から半値戻しにこぎ着けたあとは横ばいに終始している日経平均は、いかにも鈍重だ。もし、株価が経済を正しく反映したり、予見したりするものなら、日本は先進諸国で最弱の経済小国に転落してしまったという嘆きが出てくるのも無理はない。次の2枚組グラフをご覧いただきたい。

 



 

 上段は、第二次世界大戦直後の1949年から直近までの日経平均の四半期足、つまり3ヵ月を1単位とする四本値で示したものだ。このグラフでは陽線を赤、陰線を青に塗り分けている。一目瞭然と言うべきだろうが、1989年まではほとんど陰線が見当たらないほど一本調子に上げつづけ、1990年以降はたんに陰線のほうが多いだけではなく、一般的に陰線のほうが長めになっている。つまり、3ヵ月のうちにはかなり大幅な値動きがあるものだが、1990年以降の大きな値動きはほとんど下落で起きていたのだ。


 こうした長期のチャートを見てはため息をつくことが多かった日本株の投資家にとって、今年9月末に意外なところから朗報がもたらされた。それが、下段に掲載した「日経500という株価指数がついに1989年末に記録していた史上最高値を更新した」というニュースだ。日経500は機関投資家も、外国人投資家も、個人投資家もほとんど見向きもしない株価指数だが、日本の株価指数には珍しく、ひんぱんに銘柄を入れ替えている。


 この報道のあと、日本の株価指数にはあまり生存者バイアスがかかっていないから、欧米の株価指数に比べてパフォーマンスが極度に悪いのではないかという指摘もあった。生存者バイアスとは、生き残ったもの、大きく育ったものの比重が高まり、消え去ったもの、小さなままでとどまっているものの比重は下がるので、市場全体の動きを見ようとする指数には、どうしても生存し、大規模化した成功者重視の傾向が出ることを言う。


 たしかに、欧米の株価指数はひんぱんに落ち目の企業を外して、上り坂の企業を入れている。とくに長期にわたってわずか30銘柄で構成されたダウ平均が国を代表するほぼ唯一の株価指数だったアメリカでは、代表的な株価指数はひんぱんに落ち目の株を外し、上昇基調の銘柄に入れ替えている。つい最近も、S&P5001970年代から2000年代まで時価総額トップ5の常連だったエクソンモービルを外して、営業支援コンサルとソフトウェア開発に特化したセールス・フォーズに入れ替えると発表した。


 ところが、日経平均を構成する225銘柄はめったに入れ替えない。公式の理由は「指数の存続性を重視する」ということだが、実際には市場のバックオフィス機能がそろばんと電卓で遂行されていた時代の入れ替えに伴う実務処理の煩雑さがいや気されて、そのまま入れ替えを避ける伝統ができてしまったというだけのことだった可能性も高い。まあ、日本株の場合、銘柄入替の有無にかかわらず、1950年代から80年代までほとんどの銘柄が上げつづけるという夢のような環境だったわけだから、惰性を引きずるのも無理もないとも言えるが。

 

 サッカーにたとえれば、欧米のA代表は10代末から20代、30代のピークパフォーマンスが期待できる選手を選んでいるのに、日本だけが40代、50代の選手をずっとA代表に選びつづけているようなものだ。つまり国際試合の公式戦に、いまだに三浦知良、中村俊輔、遠藤保仁が現役で先発しているわけだ。サッカーにご興味のない方々には、あまりピンとこないたとえかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 

 「それにしちゃあ、日経平均はよく頑張ってるな」とさえ言えるのではないだろうか。ただ、欧米諸国が現役の名選手を送りこんでくる中で、日本だけが往年の名選手を先発させている影響はどのくらい深刻だろうか。その度合いを示しているのが、まさに下段のグラフだ。つまり、惰性で往年の名選手を先発させつづけた日経平均が、30年を費やして半値戻しにとどまっているのに対して、ひんぱんに銘柄を入れ替えている日経500は立派に全値戻しを達成した。


 だが、欧米を代表する株価指数のように1990年代初めに比べれば4倍とか6倍とかの水準で新高値を付けたわけではない。日本の株式市場の長期低迷は、代表的株価指数に生存者バイアスが反映されていないという理由だけでは説明できないほど重く、大きい。だからこそ、株価がいつまでも低迷する日本は、欧米に比べて経済全体として劣っているという言説が広く受け入れられているのだろう。


 「株価低迷は経済不振の証拠」という主張の根底には、株式市場が経済全体に果たす役割は未来永劫にわたって変わらないという思いこみがある。だが、さまざまな産業が経済に占める地位は時代の変遷とともに変わって行く。かつて全労働力の約8割を雇用し、全付加価値の67割を生み出していた農林水産業は、今では雇用で23%、付加価値で12%の小さな産業になっている。


 長く全労働力の4分の1以上を雇い、全付加価値の3分の1以上を生み出していた製造業は、いまや雇用で815%、付加価値で1220%程度の産業に縮小している。製造業の設備投資のための資金調達を最大の使命としている金融業界のシェアも、製造業の地位低下とともに、縮小に向かっていて当然なのだ。


 先進諸国の経済で、その避けることのできない縮小をすでに終えているのは日本だけだ。日本を代表する株価指数である日経平均は、大底でバブル絶頂期の約2割まで縮小し、その後の回復でもやっとピークの半値に到達したに過ぎない。つまり、世界中の金融業界の中で、製造業主導の時代に果たした役割の半分ぐらいの重要性しかない産業になったという事実を、いちばんすなおに受け入れた姿を示しているのが、日本の金融業界だとも考えられるのだ。


 それに比べて、欧米の金融業界は、今まさにドラスティックな縮小が不可避の局面に差しかかっている。どうせ一度は経験しなければならない試練なら先に済ませておいたほうが、絶対に得だと私は思っている。


次回

2.  慢性的過剰設備と投資低迷の中で、株式投資家はどう生きるのか  11/25 10時更新

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