第5回 3/10「劣等生にしか見えなかった日本が、じつは いちばん適応上手だった」

 1989年末に天井を打った日本株バブルとはなんだったのか



 日経平均は1989年の大納会(その年最後の営業日)の終値で39000円にあと一歩まで迫ったが、1990年以降延々と下げつづけた。20093月国際金融危機の最終局面では、終値ベースでの最安値でかろうじて7000円台を維持したが、ピーク時の2割にも満たないほど下がっていた。この日本株バブルのスケールを、のちにアメリカで起きた2大株価バブルと比較したのが、次のグラフの上段だ。

 



 

 上段では、日本の株式市場全体を代表する日経平均のバブルと、その後アメリカの株式市場で発生した2大バブル、ハイテク株バブルと住宅株バブルを比較している。ここでは機械的にバブルの頂点より5年前からの株価の推移を示しているので、ピークまでの上昇率は3.4倍と比較的おとなしい数字になっている。ただ、バブル前の大底だった1982年の約7000円からの倍率で言えば、約5.6倍となる。


 しかし、アメリカのハイテク株バブルのときのナスダック100指数は5年間で10.9倍になっており、サブプライムローン・バブル時の住宅株指数は5年間で9.7倍になっている。こうした派手な急騰に比べれば、日本株バブルは小さなバブルだったという印象は否めない。

 

 日本の株価と地価が連動したバブルの膨張と、その後の延々と続くベア(下げ)相場を当事者として経験した私は、その印象は間違っていると感じる。アメリカの2大株価バブルでは、大暴騰したのは比較的狭い分野の株だけだった。ところが日本の株価バブルは、好調な部門だけではなく、斜陽化した産業まで全部ひっくるめて大底から5.6倍に上がっていたし、それと連動して首都圏・近畿圏の地価も急上昇していたのだ。


 結局、日本の株価・地価バブルの本質は、物価インフレから資産インフレへの世界的な転換点だったのではないだろうか。投資に回せる資金はどんどん増えているのに実体経済で有望な投資先が枯渇しはじめ、株とか土地とかを取りあえず金融商品として買っておいて、実体経済に有望な投資対象が出現するのを待つという投資スタンスが、このころ一般化しはじめた。そして、待っていてもなかなか実体経済に有望な投資対象は現れず、金融資産価格はどんどん流入する資金に押し上げられて、暴騰しつづける。


 その背景にあったのは、もうすでに製造業主導経済からサービス業主導経済への転換はかなり進んでいいたという事実だ。実体経済の中での投資需要が冷えこんでいたが、市場参加者はまだ実体経済側からの投資意欲の減少を過去に体験したことがなかった。だから、イケイケどんどんで株や債券のような純然たる金融商品や、実需商品でもあり、金融商品でもあるヌエ的な大都市圏の商業地に資金を投下しつづけた。


 この見方には、ふたつ実証的な根拠がある。ひとつは日本国債が、バブル崩壊直後の混乱期をのぞけば1980年代以降ほぼ一貫して世界中の国債金利の低下を先導してきたという事実だ。もうひとつは、バブルの最中でさえ、消費者物価の上昇率はせいぜい3%程度で、卸売物価にいたっては下落していたことだ。実需はあるのに供給が阻害されていたために投資需要が減少していたのではなく、実体経済では商品の卸売価格が下落するほどモノはあまっていたのだ。


 上の2枚組グラフの下段は、1999年に発行が始まった日本国債30年物は、日本をのぞく世界中の15年物以上の国債全部の平均値より金利が低かったことを示している。すでにご説明したとおり、国債の金利が低いということは、即金融商品としての国債価格が高いことを意味する。つまり、バブル崩壊後も一貫して、日本は確定金利を受け取ることのできる金融商品の価格がつねに高水準で推移してきた国であり、資金を借りたり、起債したりする側にとっては安く大量の資金が調達できる国でありつづけたのだ。


 それでもなお、実体経済での投資意欲は低迷しつづけていた。たしかにこれは、人類が初めて遭遇した事態だった。ただ、この事態を論理的に予測していた人はいた。近代経済学の始祖とも言うべきアダム・スミスだ。『国富論』とも『諸国民の富』とも訳される主著でスミスはこう言っている。


 平和で豊かな国ほど、企業利益率も一般利子率も低い。高収益が得られる事業にはどんどん新規参入があり、競争の激化によって企業利益率は低下する。債務を背負って経営規模を拡大する企業経営者にとって、借金の元利返済の原資は企業利益しかないので、利益率が低下すれば、利子率一般も低下する。あらゆる商品は安く潤沢に供給されるようになるので、物価も下がる。だから、オランダはイギリスより金利が低く、イギリスはスペインより金利が低いのだ。


 日本はアダム・スミスが遠い将来の理想社会と考えた、企業利益率も、一般利子率もインフレ率も限りなくゼロに近づく経済に向かって、世界で最初の一歩を踏み出した国なのだ。


次回

4. 慢性的過剰設備と投資低迷の中で、株式投資家はどう生きるのか  11/29 10時更新

コメント

土井としき さんの投稿…
このシリーズの新刊を予約しました。『ブルース』が届けば楽しみが増えるでしょう。
増田悦佐 さんの投稿…
土井さん、本当にありがとうございます。
書籍版では、もちろん連載中の文章を掘り下げただけではなく、独自の内容も加えております。お楽しみに!
また、「ブルースの歴史」増補改定版は、翻訳させていただいた身で言うのもおこがましいですが、アメリカの社会・文化史を学ぶには必読文献と呼べる仕上がりになりました。こちらも楽しんでお読みいただけると思います。