第3回連載 「アメリカ株異常な暴騰の真相」5/6

 無形固定資産の水膨れ

 「自社株買いのようなでたらめを続けていれば、そのための資金流出によって、企業のバランスシート(貸借対照表)はどんどんやせ細っていくのではないか」とお考えの方も多いだろう。じつは私もつい最近までそう思って、自社株買いは一時の流行にとどまると楽観していた。だが、それはアメリカ社会全体がいかに企業経営陣や株主にとって一方的に有利な方向にルールをねじ曲げつづけるようになったかの認識が甘い、底の浅い見方だった。


 実際には、自社株買いの隆盛と並行して、企業のバランスシートは爆発的に拡大してきたのだ。次のグラフと表の組み合わせをご覧いただきたい。

 



 

 左側が、驚愕のハイペースで伸びつづけるS&P500採用銘柄の固定資産総額を、1975年から2018年まで追跡した棒グラフだ。伸び率は無形固定資産のほうが圧倒的に高い。

右側の表は、この無形固定資産の中身にはどんなものが含まれているかを示している。私は無形固定資産の増額ぶりはおぼろげながら知っていた。そして、無邪気にも「経済全体が製造業主導からサービス業主導に転換するにつれて、企業資産の中身もかたちのある固定資産から、かたちのない知的財産にどんどん入れ替わっているのだなあ」と思っていた。ところが、その内容を区分した右側の資料を見て、あさはかな思いこみで経済データを眺めることの危険性を痛感した。


 具体的な数値をともなわない項目を列挙しただけの一覧表ということもあって、たとえば企業秘密が2ヵ所に出てくるというような不備も残っている。だが、全体として見れば、左上にはかなりはっきりと計量化できる知的財産が並び、そこから右下に行くほどあいまい模糊とした項目が並んでいることに気づく。とくにまん中下の「非収益権」と右下の「継続的関係」の2分類は、くわしい説明を読むと「こんなもの、金銭に換算して査定できるの? そんなことをしてバランスシートを膨らますのは、投資家をだますことになるんじゃないの?」という疑問が湧いてくる項目ばかりだ。


 分類名からしてある種の居直りを感じさせる「非収益権」にふくまれる2項目は、どちらも買収合併がらみの内容だ。「競業忌避条項」とは、買収や合併で取得した企業の旧経営陣に退任してもらう場合、別の企業や新規に立ち上げた企業で同じ業務を行わないことを誓約してもらっていることを「権利」として金銭化した額を意味する。「現状維持条項」は、逆に買収合併をされた企業側の元役員がその企業にとどまるとき、買収合併を仕掛けた側が持ち株比率を合併時以上に上げないという誓約を、権利として計上したものだ。


 どちらも廃業したり、その事業部門を廃止したりしたときに、他社に売れるような性質の権利ではない。しかも、企業自体にとって「競業忌避条項」のほうはある種の権益と見なすことができるが、「現状維持条項」のほうはどう考えても権益ではなく、義務ないし道徳的要請に過ぎない。


 左下の継続的関係という分類のもとに収録された2項目も、なんともうさん臭い。だいたいにおいて、日本語で関係というとそれだけで何やら怪しげな連想が生じ勝ちだが、「納入業者関係」にしろ、「顧客関係」にしろ、金銭化してバランスシートに計上するのは無理だろうという項目だ。


 ある企業が廃業のやむなきに至って、経営陣や株主のだれもがきれいさっぱりその業界から足を洗うと決めたとしよう。長年の営業活動の中で培ってきた納入業者や顧客との信頼関係を、第3者に譲渡することができるだろうか。左下の「占有データ」分類に入っている「顧客リスト」は売れるだろうし、同じように納入業者リストだって売れるかもしれない。だがそれは買い手にとって参考資料程度の金額しか出せない無形資産であって、「関係」そのものはどんなに莫大な価値が潜在していようと売りさばくことはできない。

合併や買収で吸収される側に立つと予想される企業は、こういう項目をバランスシートに入れておけば、その分だけ高く自社を売りつけることができるという発想もあるかもしれない。しかし、もしその会社が他社と同じようなことをやっていながら、納入業者や顧客との信頼関係のおかげで高い収益性を保っているとしたら、その価値は買収する側が「のれん代」として評価すべきであって、売り手側が「これがいくら、あれがいくら」と値段を付ける性質のものではないだろう。

 

とにかく、どんどん膨れあがる一方の企業の無形固定資産の中には、かなり評価の基準があいまいな項目が数多くふくまれていることは、納得していただけたのではないだろうか。しかし、ここでもう一度大手上場企業にとって、このあいまいな無形固定資産がいかに莫大な金額に達しているかを示す表とグラフの組み合わせをご覧いただきたい。

 



 

 それにしても感心するのは、右側の棒グラフでわかる無形固定資産の急成長ぶりだ。水平線のすぐ上の灰色の部分が示す有形固定資産は、だいたい10年間で1.5倍~1.7倍の伸びにとどまっている。だが、上の水色部分が示す無形固定資産はほぼ一貫して10年間で少なくとも3倍、多いときには6.5倍の伸びとなっている。


 まず問題とすべきは、この驚異的な伸びが、いかにあやふやな査定にもとづいて算出されているかということだ。左側の上下2段の表に、その問題点がはっきり現れている。有形固定資産は、評価の基準もはっきりしていて、効率的な流通市場があるので、売りたくなったらどの程度の金額で売りさばけるかもわかりやすい。だから、たとえば自然災害などで修復不能のダメージを受けたときのために保険をかけておくことも簡単にできる。


 しかし、無形固定資産はほぼ正反対だ。評価基準はあいまいで、流通市場はあったとしても取引量が少なく、価格は激変する。中には流通市場で売りさばくことはできないと断言できるものもふくまれている。売ることができないものに値段を付けることにどんな意味があるのか、理解に苦しむ。当然のことながら、紛失や盗難に備えて保険をかけようとしても、なかなか引き受けてくれる保険会社が出てこない。


 最大の問題は、これほどあいまいな数字を寄せ集めただけの無形固定資産総額なるものが、企業の価値を考えるときにあまりにも大きな影響を及ぼすという事実だ。


 バランスシートの左側になる借り方は、企業が自由裁量で遣うことのできる資金の総額が、どんなかたちで何に遣われているのかを示している。どんな小さなものも、これを買った金額は帳簿上でいくらと書き出されていて、かんたんにいじることはできない数字が並んでいる・・・・・・はずだった。無形資産が膨大な金額になるまでは。


 一方、右側の貸し方は2段に分かれていて、上段には総債務とも他人資本とも呼ばれる借金の総額が示されている。ここに書かれた数字は、それぞれの項目に貸し手がいるので、借り手企業が勝手にいじることはできない。


 やっかいなのは純資産とも自己資本とも呼ばれる下段だ。ここに記入されている数字には、具体的に対応するものがあるわけではない。ようするに、左側の総資産から右上の総債務を引いた残高が記帳されているだけなのだ。左側の資金用途と右側の資金源とは総額でぴったり一致しなければおかしいからだ。


 ということは何を意味するか。左側の総資産の中でも金額の査定が困難なのである程度膨らましやすい無形固定資産総額を操作して総資産額を大きくすることができれば、金額が確定している総債務を差し引いて残る自己資本額も大きくできるということだ。昔から総資産に対する自己資本比率が高い企業は健全で、低い企業は危ないと言われてきた。そして、総資産の大部分が有形固定資産だった時代には、この見方は大筋で正しかった。


 ところが、評価のむずかしい無形固定資産の総資産対する比率が急激に上昇した昨今では、表面的な自己資本比率がどんなに高くても安心できない。むしろ、総債務に対する無形固定資産比率が異様に高い企業は、無形固定資産の中にとうてい売り払って借金を返すために使うことはできないような詰めものがたっぷり紛れこませてある、じつは危険な会社だという可能性も高い。


 次のアメリカ株大暴落では、かなりの大企業の中から、こうした詰めもので安定した経営基盤があるように見せかけていたことが露見して、派手な破綻劇を演ずる企業が1社や2社にとどまらない数で出てくるだろう。もう製造業が経済を牽引する時代はとっくの昔に終わっているのに、製造業大手の巨額の資金調達を円滑に進めることを最大の使命としていた金融市場だけは肥大化しつづけている、アメリカ経済の異常さを是正するきっかけになるかもしれない。


 アメリカ経済も、サービス業に占める金融業の地位が異常に高い状態から、金融市場の規模が半分か3分の1になれば、ずいぶん貧富の格差も縮小するに違いない。こうして、なんとも迂遠なかたちではあれ、金融業や専門サービス業といった高額所得者ばかりの業界が衰退し、個人消費に直結したサービス業のシェアが大幅に拡大する。その結果、アメリカでもサービス業主導型経済の本来の姿が確立されることになるのだろう。


 だが、その転換過程は、おそらく5年や10年の期間には収まらないはずだ。バブル崩壊後の日本経済と同じくらいか、それよりもっと長い期間が必要になるのか、あるいはアメリカ合衆国自体が現在とはまったく違った国になるのか、そのへんはまだわからない。いずれにせよ、アメリカ経済にとってドラスティックな変革の数十年が待っていることは間違いない。


続く(次回11/7)

コメント

どいとしき さんのコメント…
「自社株」で株価維持してたので
なく、「経済の異常さを是正するきっかけになるかもしれない」について関心を持ちました。
増田悦佐 さんのコメント…
土井さん、いつも貴重なご感想ありがとうございます。今後、関心を持っていただいたテーマを深く掘り下げるつもりです。