3 「21世紀大不況の核心は過剰設備にあり」

製造業の比重が下がれば、金融市場も縮小する


2018年度の日本のGDPに占める製造業のシェアは20.8%だった。一方、農林水産業をのぞく非製造業のシェアは78.0%だった。しかし、設備投資総額に占める製造業のシェアは33.2%で非製造業のシェアは66.8%だった。(これは資本金10億円以上の大企業だけの集計だが、中堅から中小零細企業までふくめても、比率はあまり変わらないだろう。)GDP1%分の生産高を確保するために製造業が必要とする設備投資額は設備投資総額の1.6%分、これに対して非製造業がGDP1%を生産するために必要とする設備投資は総額の0.86%分で済んでいたわけだ。つまり、同じ生産を確保するために、製造業各社は非製造業各社1.86倍(1.6割る0.86)の設備投資を必要とするのだ

れからも製造業のGDPに占めるシェアは下がりつづけるとすれば、国民経済全体が必要とする設備投資額のGDPに占めるシェアも当然下がっていくはずだ。それが金融市場にとってどんな意味を持つのかを考えてみよう金融市場の中でもひときわ世間の注目度の高い株式市場は、いったいなんのために存在するのだろうか。

オレが億万長者になるためだ」いう自信家のご意見さておけば株式市場の社会全体に対する存在理由は、業績がよくて成長性の高い企業が新株発行増資や社債の発行をやりやすくすることにあると言えるだろう成長展望の明るい企業は株価が高くなり、株価が高い企業は増資でも社債発行でも、好条件で巨額の資金調達ができる。業績が悪く成長性の低い企業は増資でも社債発行でもあまりよくない条件で少額の資金調達しかできない。

だが、なぜ企業は巨額の資金調達を必要とするのだろうか。借金で台所が火の車で、とにかく支払うべきカネをひねり出さなければ破綻してしまうような情けない企業を別にすれば、業容拡大、老朽化した設備更新、新市場・新分野への進出のための設備投資に必要だというケースが大部分だろう。だとすれば、国民経済に占める製造業の地位が低下するにつれて、設備投資のシェアもまた低下するわけだ。そして設備投資のシェアが低下するにつれて、株式市場を始めとする金融市場の存在価値も低下する。

日経平均という日本を代表する株式指数は、1989年の大納会(その最後の株式市場営業日)に大暴落を始め、大天井だった39000円弱から、国際金融危機のさなかの大底では4分の1にも満たない6000円台まで下げつづけた。近年やっと大天井から大底までの下げ幅の半値戻しを達成して、その後横ばい状態となっている。「経済全体を牽引するのは製造業だ」という社会通念が「これからはサービス業だ」という認識に変わったのが、1980年代から90年代への境目あたりのことだったので、日本の株式市場はじつにすなおにサービス業が経済全体を牽引する時代への適応を遂げたと見るべきだろう。

製造業が主導産業の座を降りてからいかに国際経済が多事多端だったかを示すには絶好の指標がある。一読しただけではちょっとわかりにくい概念かもしれないが、なるべくわかりやすく説明するので、お付き合いいただきたい。それは、全要素生産性という概念だ。よく似た概念だが、労働生産性のほうは経済学を多少なりとも学んだ方ならご存じだろう。国民経済でも特定の産業でも一企業でもいいが、労働力の投入量1単位当り生産高がどのくらい伸びたかを測る指標だ。労働生産性は投入した資本の量も質も考慮に入れていないのだが、ほとんどの先進国では時代が進むにつれて資本の蓄積は高まっていので、同じ労働量の投入から得られる生産高は着実にプラスの伸びを続けている。

全要素生産性とは、投入した労働の量も、投入した資本の質と量も同じだったと仮定した場合、生産高がどれだけ伸びたかを測る指標だ。こちらは投入した資本の質と量まで投下資金額というかたちで計算するので、労働生産性ほど大きな伸びは出てこない。だが、やはり先進諸国ではふつうの社会情勢なら毎年じわじわと伸びていくはずだと想定されていた。たとえば技術革新が進んで、同じ資金を投入しても効率が高い機械を使えるようになったとか、社会全体が平和で不慮の事故による生産停止などが減少し、交通機関の利便性も高まっ職場に通いやすくな、同じ労働量で同じ機械を使って仕事をしても、生産高が上がるなどの要因が貢献していると考えられていたのだ。
 ところが次のグラフをご覧いただくと、1990年代にサービス業が主導産業になってからの世界経済は、まったくこの楽観的な想定とは違った様相を呈している。


1990年代は圧倒的に全要素生産性が低下した年のほうが多い。2000年代は上昇した年のほうが多くなったが、2010年代になるとまたほとんどマイナスの年ばかりに再逆転してしまったつまり、19902010年代の30年間は、世界経済全体として、同じ量の労働と、同じ質・量の資本を投入するだけでは生産高が下がる時代になってたのだ。

そして、グラフ内に書きこまれた文字を読むと、1980年代以前は10年に一度起きる程度だった金融危機が、直近30年間は10年に23度起きていることにもお気づきになるだろう経済学者の大半は、この金融危機の頻発と全要素生産性のマイナス成長という現象との因果関係を以下のように説明する

金融機関がリスクを軽視した融資競争に走る。当然、融資先の中には儲かるはずがないような事業をしているので債務不履行になる企業も出てくる。それでも融資競争を続けているうちに、破綻先への融資総額が隠しきれないほど巨額の焦げつきとなり、莫大な損失を計上する。だが、政府や中央銀行は大銀行が破綻した際の社会的影響が怖くてどんなに大損を出した銀行も潰せない。結局、救済してしまう

金融業界は「非常にリスクの大きなギャンブルをしても、うまく当たれば利益は自社のもの、外れれば損失は政府が国民の税金で尻ぬぐいをしてくれるという教訓を得て、ますます危険な融資を実行しつづける生産した商品やサービスがまっとうな価格で売れないような企業への融資が増えるので、同量の労働や資本の投入に対する生産高が減少してしまう。つまり、全要素生産性の低下だ。

たしかにそれなりに辻褄は合っている。だが、歴史的な事実と突き合わせてみて納得のいく説明になっているだろうか。たとえば、全要素生産性の伸び率が初めて大幅なマイナスに転落した199093に起きたのは、日本、北欧でのバブル崩壊だった。そして2つ目の谷となった199798に起きたのは、東アジア通貨危機・ロシア国債危機だ。アメリカや西欧諸国から見れば、周縁的な地域ばかりだ。当時の欧米の金融機関は、全体としてこうした地域には慎重な姿勢を取っていた。「ロシア国債の金利が欧米並みに低下するという、しろうとが考えてもそんなバカな話があるわけがない予測に賭けたロングターム・キャピタルマネジメントというギャンブラー集団が破綻した以外には、ほとんど欧米金融業界への影響はなかった。

それでも、199093年当時の世界全体の全要素生産性伸び率の内訳を見ると、世界中のどこを見渡しても、全要素生産性が上昇していた地域はなかった。旧ソ連東欧圏が中心の、中欧・東欧・中央アジア諸国と、中東諸国と、中南米カリブ海諸国で大幅な低下があっただけではなく、西欧諸国でも北米諸国でも全要素生産性少しだけ低下している。

全要素生産性の大幅低下が起きた3地域の共通点は、原油輸出への依存度の高い国々だということだ。この背景には1980年代から90年代を通じて世界中の産油国で原油採掘・輸出の採算性が延々と低下しつづけていた事実がある。「1978年のイラン革命による生産途絶の影響で原油の世界生産量が激減するという過剰な悲観論にもとづいて1978当時の価格でバレル当たり10ドル台だった原油価格がこの年の年末には40ドル近くまで上昇した(第2次オイルショック)

その後、原油価格は延々と下げ続けたのだが、中でも1991年のソ連崩壊で政治社会体制が混乱を極めた旧ソ連内の産油国は、採算を度外視してとにかく外貨をかき集めるために、さらに低価格での輸出攻勢を強めた。その結果、世界中の産油国の大半が以前よりはるかに低い価格で原油を売らざるを得なくなり、原油輸出収入の激減が産油国の全要素生産性を大幅に低下させたわけだ。そこまでは、安売りをすれば生産性が下がるというごく当たり前の経済法則どおりの現象だ

だがここに見落とされている事実がある。それは非常に重要なエネルギー資源である原油価格が大幅に下がれば、原油を原材料の一部として投入している製造業や交通運輸産業のような業界では全要素生産性が高まるはずではないのかということだ。だが、このグラフが示しているように、原材料としての原油価格の低下を活用して全要素生産性を高めた地域はなかった。

理由の一端は省エネ意識の向上で、エネルギー消費量自体がかなり絞りこまれていたことだろう。このころにはすでに、エネルギー浪費型経済の代表のようなアメリカでさえ、エネルギー効率の悪いクルマを下取りに出して、ガソリン1ガロン当りのマイレージ長いクルマに買い替えれば、政府が補助金を出すという制度も定着していたエネルギー大量消費型産業や交通機関でさえ、かなりエネルギー消費量を抑制していたので、原油価格下落のプラス効果も小さかったというわけだ。

だが、それ以上に重要なのが、先進諸国の経済構造全体が、製造業や交通運輸産業のようなエネルギー大量消費型から、個人向けサービスのようなエネルギー消費量の少ない産業へと重心を移していたことだ。そこで、産油国はどんどん原油の売値を下げても、なかなか消費量が拡大しない。それどころは消費量を減らしつづける輸入国もあるという苦境に陥った一方、消費国でも、エネルギ資源消費量を抑えこんでいるので、原油価格低下の恩恵も小さくなっていた。

だが、この八方ふさがりの状況は、ちょうど東アジア通貨危機・ロシア国債危機が終息した1998年を大底に劇的に変化した。次のWTI原油実質価格のグラフが示すように、突然原油価格が高騰に転じたのだ。


 

ご覧のとおり、1998年にはバレル当たり20ドル未満に下がっていた原油価格はたった2年で50ドル台へ、そして9年後の2007年には160ドル超へと驚異的な上昇を示したアメリカ経済のその後の進展にとって非常に不幸なことに、この原油価格の底打ち反転とほぼ同時期に、新興企業の多くが上場しているナスダック市場で、「今まで来る、来ると言われながら一向に企業業績に現れなかった情報通信革命が、とうとうIT企業の大幅な増益に結びつく時代がやって来た」という噂が流れはじめ、証券各社ももっともらしいアナリストレポートを乱発した。その結果、業態が情報通信やインターネットに関係があろうとなかろうと、社名の最後にドットコムと入れた会社の株価がいっせいに急騰した

アメリカではドットコム・バブルと呼ばれ、日本ではハイテク・バブルと呼ばれた現象だ。冷静に考えれば、企業の総労働時間のうち、純粋にコンピューターの演算処理やフローチャート分析などに費やされる部分は、微々たるものだ。その微々たるものの作業効率が100倍向上しようと、1000倍向上しようと労働時間の節約もまたタカがしれている。だが、実証的な裏付けは皆無だったにもかかわらず、情報通信産業を中心とした株価バブルは膨張をつづけ。世界の全要素生産性がちょうどこのころ、下落から上昇に転じたのが、情報通信革命が企業の生産性を向上させている証拠だというかなり無理なこじつけも、買い方には支援材料となっていた

だが、実際にはこの全要素生産性伸び率のマイナスからプラスへの転換は、情報通信革命とはほとんど無縁の要因によるものだった。すぐ上のグラフで見たとおり、原油価格が急騰に転じたので、産油国の輸出採算が劇的に向上し、全要素生産性も上昇に転じたのだ先ほどご覧いただいた19902019年の世界全要素生産性グラフでは、北米諸国が明るい黄緑、中欧・東欧・中央アジア諸国が濃いめの緑と紛らわしい色分けになっているので、そのへんの事情がちょっと読み取りにくいそこで北米諸国と中欧・東欧・中央アジア諸国をもっとわかりやすい色彩にしている次のグラフをご覧いただきたい。
 


世界の全要素生産性は1999年の±ゼロから、2000年には一挙にプラス1.0%程度に上昇した。そのうち、オレンジの北米諸国の貢献分はたかだか0.1ポイントで青緑の中東諸国が約0.4ポイント、黄緑の中欧・東欧・中央アジア諸国が約0.2ポイントとなっている。この全要素生産性の好転は、明らかに原油価格の高騰で産油国の輸出採算が向上したことによるものだ

いまだに「情報通信革命の先頭に立ったことがアメリカ経済の生産性を持続的に上昇させた」という根拠の薄弱な伝説にしがみついている人が多い。それが、「成長性の高いハイテク分野で有望企業に巨額の資金を投下すれば、必ず収益を改善しながら、巨大企業にのし上がる」という神話にまで「成長」した。たしかに、グーグル、フェイスブック、アマゾンといった企業はそれぞれのニッチ分野で巨大寡占企業にのし上がり、今も成長をつづけている。

だが、実際に全要素生産性の推移を見れば、アメリカにおける情報通信革命の成果は、あったとしても200003年に1年当たりで0.1ポイント程度世界の全要素生産性の向上に寄与しただけの、ごく短期間で散ったあだ花だった一握りの成功例の陰で、数十倍、数百倍の有望企業が、過大な投資に見合う収益をあげるどころか、元本の回収もできずにのたれ死んでいった。そして、この過剰投資が慢性的な全要素生産性の低迷を招いたのだ。

それに比べて、中東諸国と、中欧・東欧・中央アジア諸国は200007年を通じて世界の全要素生産性の向上に大いに貢献してきた。この見方の正しさは、次のグラフにも明瞭に表われている原油価格高騰の華々しさが立証している

 


世界中のありとあらゆる資産の中で、2000年代に値上がり率が最も高かったのは、原油だった。その原油が最大の輸出品目だという諸国で全要素生産性が顕著に上昇したのは当然だろう。だが、先ほども説明したように、先進国の大部分がエネルギー消費量を抑制しながら経済成長を達成する方向に舵を切った中で、いったい何が原油価格をここまで押し上げたのだろうか。答えは単純明快。採算を度外視した資源浪費型の中国経済「高度成長」だ

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