第2回連載 「21世紀大不況の核心は過剰設備にあり」
なぜ低金利政策は失敗し続けるのか
2007年に端を発し、2009年の春になんとか底打ちした国際金融危機以降、先進国の大部分で政府と中央銀行が低金利、ゼロ金利、さらにはマイナス金利政策を実施しつづけている。この間、アメリカの中央銀行に当たる連邦準備制度(FRBまたはFedの略称で呼ばれることが多い)だけは、「平時にこんなに金利が低くては、危機に際して景気浮揚のために金利引き下げをする余地がなくなる」という理由で、一時金融引き締めと金利引き上げを試みたことがあった。だが、結局金利は「お上の誘導で上げたり下げたりできるものではない」という当たり前の経済法則に屈して、また「低金利政策」という名の市場動向追随路線に戻ってしまった。
そもそも「金利を下げれば企業にとって借金のコスト(支払利子額)が下がるから、設備投資にカネを遣いやすくなり、経済が活性化する」という前提自体が、昔はそんなこともあったが、今ではもうまったく通用しなくなっている固定観念に過ぎないのだ。金利が7%~5%に下がったり、4%から3%に下がったりすれば、「よし、金利負担が低下したから、ひとつ大規模設備投資で勝負しよう」と考える企業経営者も多いだろう。だが、1%の金利が0.5%になったからといって、設備投資を拡大しようとする経営者がいるだろうか。
企業が設備投資をしないのは、断じて金利負担が怖いからではない。目的が経営規模の拡大であれ、新規事業分野や新市場の開拓であれ、巨額の資金を投じて大型設備投資をすればそれなりに高く安定した収益が見こめる投資対象が見当たらなくなっているのだ。この傾向は、大型設備投資による規模の拡大が同業他社に対する競争優位をもたらすことが多かった、重厚長大型製造業各社でとくに顕著だ。重厚長大型製造業とは、製鉄、造船、石油化学、重電、重機、自動車などのことだ。
重厚長大型製造業の特徴は、あまりにもひんぱんに使われがちな「規模の経済」という言葉が、意味を持つ業界だということだ。棒鋼とか圧延鋼板とかエチレンとかのきっちり規格の決まった汎用品を製造する場合は、大型設備で大量の原材料を投入したほうが、均質の製品を安く造れる。だからこそ、設備投資競争で優位に立った企業は、同業他社のシェアを奪ってますます収益を伸ばすことができたのだ。ただ、この顔ぶれを見ただけでおわかりのとおり、もうこういうタイプの製造業各社が経済を牽引する時代ではなくなっている。
今や製造業ではなく、サービス業が経済を牽引する時代だ。そして、サービス業では、基本的に「規模の経済」は働かない。eコマース(日本流にいえばネット通販)で圧倒的なシェアを持つ、アマゾンの場合を考えてみよう。アメリカのみならず、世界中の、しかも大都市圏だけではなく、人口密度の低い地方にまで配送網を確立するのは、規模が大きくなるにつれてコストが下がる事業であるわけがない。
配送網が広がれば広がるほどコストが上がり、アマゾンeコマース部門の営業利益率は今なお1%台で低迷している。いくら低金利の世の中でも金利負担を差し引いた経常利益では当然赤字という水準だ。しかも、この1%台という低水準の営業利益を確保するために、アマゾンは業界首位企業の地位を利用してすさまじい仲介手数料を自社のネットワークに出品する業者から取っている。この点は、連載第3回の中で具体的な数字を使ってってご説明しよう。
だから、アメリカの小売担当アナリストの中には、「アマゾンは永久に赤字体質を脱却できない」と予想する人も多かった。結果的に、アマゾンが安定的に経常黒字を出せるようになったのは、廃物利用のおかげだった。世界各地に配送網を確立するための膨大な量の計算をするために必要としていた大容量のコンピューターがその後遊休化したので、クラウド事業というコンピューターのレンタル事業に進出したのだ。大容量コンピューターを自社で保有するコストは負担できないが、時々使いたいという企業にコンピューター機能を賃貸しするわけだ。
そして、今やこの分野でも業界首位となったアマゾンの顧客の中には、いったん発注するクラウド業者を決めてしまえば、機密保護のためにも同じ業者を半永久的に使いつづけざるを得ないCIAのような上得意も含まれている。クラウド事業のほうが毎年20~30%という高い営業利益率を確保しているから、アマゾン全社の経常利益は安定して黒字が確保できるようになったのだ。
規模さえ拡大すればほぼ自動的にコスト競争力が高まる時代を過ぎてからは、製造業の中でも軽薄短小型でなければ、高収益・高成長を達成することはできなくなった。そして、軽薄短小型製造業でさえ、もの造りだけで経済を牽引する力はなくしている。アメリカ国民のあいだで「ブランド認知度トップ10社」を挙げてもらうと、昔は、トヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニックといったところが常連だった。直近の調査で日本企業として残っているのは、ソニーとニンテンドーだけだ。どちらも一応ゲーム機器製造会社と分類されているが、機械としての性能はおもちゃ程度でいい製品のほうにブランド価値があるわけではない。そのゲーム機に盛りこむソフトが高い評価を得ているのだ。
この移り変わりを見て、「日本はちゃちなゲーム機メーカーしか残っていないのが、情けない」と思う人は、頭が固すぎる。もう世界中が、どんなに優秀な機械を造ろうと、製造業各社が経済を引っ張る時代ではなくなっている。製造業でさえ、機械そのものより、その中に盛りこむソフトの差で勝負する時代になっているのだ。だからブランド認知度でゲーム機メーカーしか残っていない日本の製造業のほうが、いまだにブランド認知度の高い企業として残っているのは造る機械そのものの品質で勝負する自動車メーカーだけになってしまったドイツより、経済サービス化の時代への適応はうまくいっていると考えるべきだ。
いまだに「金利を下げれば、設備投資が拡大する。設備投資が拡大すれば景気がよくなる」と信じているらしい人たちを見かける。この人たちの大半は、世界中で政府や中央銀行に在籍しているか、こうしたお役所の諮問を受けて古い経済学教科書に書かれている議論をそっくりなぞった論文を飽きもせずに書きつづけている「官庁ご用達」エコノミストだ。いや、彼らだって本気でそんなことを信じているわけではなかろう。そういう論文を書いておかないと食いっぱぐれるから、十年でも二十年でも一日のごとく「金利引き下げの景気浮揚効果」を論じているに違いない。
「金利を下げれば設備投資が拡大に転じて、景気がよくなる」という議論の間違いを一目瞭然で示すグラフがある。アメリカと日本という2ヵ国の同じ指標の長期推移を示すグラフなので、二目瞭然というべきかもしれないが。それは、設備稼働率という指標だ。
設備稼働率とは、企業が生産活動のために保有している機械装置などの何パーセントが、実際に動いているかを集計した数字だ。もちろん、工場の生産設備だけにとどまる概念ではない。サービス業の中でも、ホテルの客室稼働率とか、アパート・賃貸マンションの稼動率(これは日本の場合、稼動率の逆数である空室率のほうを数えることが多いが)もふくめて、企業の収益に貢献する設備全体のうち、どの程度が実際に収益を生み出しているのかを測る指標だ。
まずアメリカの過去半世紀あまりの設備稼働率推移を見ていこう。次の図表をご覧いただきたい。
第二次世界大戦直後に、先進諸国でほぼ唯一生産設備が無傷で残っていたアメリカ経済は、1950~60年代にかけて黄金時代を謳歌していた。その黄金の60年代の末期に当たる1967年のビジネスサイクルのピークでは、アメリカの設備稼働率は89%台まで上昇していたことがわかる。ただ、このころにはもう、アメリカの製造業は日独の挑戦によってさまざまな分野でシェアを失いはじめていた。その後は約4~6年のビジネスサイクルのたびに山は低く、谷は深くなっている。直近の2016年ごろを大底として始まったビジネスサイクルでは、山でも80%に届かず、谷は65%と全設備の3分の1以上が遊休状態になっている。
こんなに生産設備が過剰になっている時代に、金利を下げれば設備投資が拡大し、設備投資が拡大すれば景気がよくなるという発想自体がおかしいのだ。この過剰な生産設備の存在という状況は、アメリカよりはずっと基礎体力の強い製造業を育て、1990年ごろまではどんどん基幹的な製造業分野で世界シェアを伸ばしていた日本経済についても、同様だ。
なお、日本経済は1989年末の不動産と株のバブルが大崩壊したときに、一挙に国際競争力を失ったと思っている人が多い。だが、それは事実誤認だ。日本は、少なくとも1990年代までは先進諸国の中でいちばん強い製造業を維持していた。上で見たアメリカと同一期間の日本の設備稼働率推移は、次のグラフで見るとおりだ。
このグラフについては、まずご注意いただきたいことがある。それは、この数字は設備稼働率そのものではなく、一定の時期の稼動率を100とした指数に換算してあるということだ。このグラフでは、おそらく2010年の年間平均値を100とした指数になっている。全体のピークだった1969年には日本全国の生産設備のすべてが、4割の超過勤務をしていたというわけではない。だいたい、機械が超過勤務をするということ自体が、意味のわからない話だが。
日本で設備稼働率の集計と公表を担当している経済産業省(旧通産省)に言わせると、「なまの数値を出すと誤解を招きやすいので、指数に換算した数値を発表している」ということになっている。「日本中の設備の1割とか2割とかが怠けてのらくらしているのは、けしからん。そんな設備はすぐクビにして、仕事があろうとなかろうといつも勤勉に働く設備ばかりに入れ替えよ」と主張する頑固爺い集団が、全国各地の工場にデモでもかけると思っているのだろうか。世界中見渡してもこんなに大衆を愚民視する官僚集団が大切な経済統計を牛耳っているのは、日本ぐらいのものだろう。
さて、設備稼働率そのものに話を戻そう。さまざまな副次的資料を総合して判断すると、日本の場合、大天井だった1969年で92~93%という高い水準を達成していた。世界中の先進国の設備稼働率を見渡しても、90%超というのは、例外的に高い水準だろう。高度成長期の日本の製造業がいかに強かったかがわかる。一方、大底の2009年では、指数としては70割れにとどまっているが、実際の稼動率は50%ぎりぎりという水準まで落ちていたのではないかと推定される。そして、これもまた先進国では異常に低い水準だ。だが、これは日本の製造業が急激に弱体化したということではなく、むしろ世界中の製造業各社が生産設備を発注する際の日本企業への依存度がそれだけ高かった証拠だと思う。
2009年というと2007~09年の国際金融危機がいちばん深刻になった時期で、世界中の大型設備投資がほぼ全面的に沙汰止みになっていた。当時はもう、消費財、つまり消費者が直接買う工業製品の分野では、欧米諸国ばかりか日本も韓国、台湾、そして中国に押されていた。だが、製造業各社が生産活動を維持するための設備装置、つまり資本財の分野では、圧倒的に日本製品の信頼度が高かった時代だった。だからこそ、世界中で設備投資が全面停止状態になったときに、日本の産業機械、工作機械、精密機器といった業界の工場は一斉に開店休業状態になった。当時の先進諸国の中でも、日本の設備稼働率がいちばん大きく下げたのは、日本の資本財製造部門が非常に優秀だったからだ。。
日米の設備稼働率推移を比べると、アメリカは山も谷も鋭く尖ったかたちになる。それに対して、日本の場合、谷は深く鋭く切れこんでいるが、山は高原状態を保つ傾向があることに気づく。日本の企業は、中堅から中小零細にいたるまで、景況が相当悪化しなければ標準的な操業を維持できる企業が多いのに対して、アメリカでは一握りの勝ち組寡占企業をのぞけば景気変動に翻弄されて好不調の波の激しい企業が多いということだろう。
ここであらためて、この慢性的な設備稼働率低下は、決して過去に過大な設備投資をやってしまったので設備が過剰化しているのではなく、設備投資は低調だったにもかかわらず、稼動率が低下しているのだということを確認しておこう。次のグラフが、アメリカの設備投資の長期低落傾向を示している。
まず上段を見ると、アメリカの非住宅固定資産投資の対GDP比率となっている。これが設備投資だと考えると、国際金融危機の落ちこみから完全回復した2013年ごろからもう6~7年GDPの13%台を確保していて、設備投資は堅調だったと思ってしまうかもしれない。しかし、それは間違っている。下段を見ると、アメリカの非住宅「有形」固定資産投資となっていて、これが通常の設備投資、つまり事業用の建物・構造物の建設や機械装置の設置なのだ。そして、こちらを見ると、1980年代前半に13%強で天井を打ってから一貫して低落傾向が続き、直近では山でも9%代半ば、谷では7%代半ばまで下がっていることがわかる。
この上段と下段との差が、企業が行っている非住宅「無形」固定資産投資ということになる。それではいったい、企業による無形固定資産投資とは何なのかということになると、連載第3回で詳細にご説明するように、玉石混淆というよりは百鬼夜行状態だ。なるほどこれは無形ではあってもきちんと価値をバランスシートに記帳する意義があると思えるものもあるが、とうてい資産価値を測定しようがないものも平然とバランスシートに載せている。このへんが、アメリカ経済では企業会計まで、さまざまな業界の寡占企業のお手盛り自己評価に迎合するように変質してしまったことを象徴しているのだが、その話もまた次回連載でのお楽しみとして取っておこう。
まず解明すべきは、なぜ設備投資は一貫して低調だったのに、設備稼働率もまた低迷しているのかだ。その底流にあるのは、世界経済全体がますます製造業中心からサービス業中心に変わっているという事実なのだ。
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