書評シリーズ第1回「投資」

投資にまつわるエトセトラ

もうずいぶん昔から、現役世代が退職するころまで現行の年金制度が保つのかが話題になっていた最近ではそれに加えて、年金は想定どおりの金額を受け取れるとしてもそれだけで長い引退生活を支えていけるのかが、深刻な疑問とされている。持ち家世帯にとっては、比較的物価の安いところでつつましく暮らしていけば、何とかなるし、また生前に家を担保にカネを借りて生活費にして、死亡時に精算するリバースモーゲージを利用するという手もある。

ただ、貸家住まいで、貯蓄だけが頼りという世帯では、そうとうな大金貯蓄していてほとんど金利が付かないので不安だという声も聞かれる。そういう風潮を反映して、貯蓄だけでは届かない老後資金の目標を達成するために、積極投資に乗り出すことを勧める本が何冊も出版されている。だが、まずご注意いただきたいことは、「金利の付かない預貯金はインフレになった場合に、元本の実質価値が激減するから、投資で高い利回りを確保しなければならない」という論調の投資本は、絶対に信用してはいけないということだ。

政府・日銀はもう、かれこれ10年以上にわたって金利も下げ、世間に出回る日銀券の供給量を大盤振る舞いで増やしている。それでもなお、消費税の引き上げ直後というような特別な要因がない限り、日本の物価はプラスマイナス1%のあいだを行き来しているだけで、目標の2%超のインフレ率を実現する気配はまったくない。こういう物価の安定した経済では、預貯金の元本がインフレで激減する心配はない。だとすれば、「インフレの恐怖」をあおって個人世帯に積極投資をさせようとする本には、どれか特定の金融商品に資金を引きずりこもうとする思惑が隠されているのではないかと疑ってかかったほうがいい。

なお、「インフレ率がゼロ近辺に低迷しているから、日本はいつまでたっても低成長から抜け出せない。だから、むしろインフレが来てくれることを待望するような心理を形成する意味でも、預貯金を減らして投資に振り向ける風潮を広めるべきだ」と主張するエコノミストも多い。だが、これもまた間違いだ。景気が良すぎて経済活動がキャパシティを超えるところまで増えると、インフレは起きる。だが、インフレにしたからといって景気が良くなるわけではない。経済活動の低迷や政府が抱えた膨大な借金の帳尻合わせを紙幣の増刷でやってしまうと、ジンバブエやベネズエラのようなハイパー(超)インフレを起こしてしまう危険がある。

そもそも現代日本経済は、投資を拡大したところでキャパシティを超えるようなモノやサービスへの需要が起きて、インフレになる状態ではない。前回シリーズの生産性と設備稼働率をめぐる議論でも書いておいたように、むしろ設備はあり余っている。だから、質量両面にわたる日銀の金融緩和は実体経済への投資を喚起するのではなく、金融商品のバブルにつながってしまうのだ。

何かにつけて、「だから日本のGDP成長率は低い」と主張する人が多い。だが、日本のGDP成長率は先進諸国の中でとくに低いほうではない。とりわけ、1995年に日本で2番目に大きな都市圏、近畿圏ほぼ全域が阪神淡路大震災に遭遇し、そして2011年に東日本一帯のかなり大きな地域が東日本大震災という大きな自然災害に遭ったが、どちらも短期間で克服しながら、西欧諸国にほぼ引けを取らない成長を維持してきたのだ。これらの被災地域をすばやい復旧・復興に結び付けた底力は、成熟というよりは老衰と表現したほうが適切なヨーロッパ諸国と比べて、少しも見劣りするものではない。

個人の眼で金融市場を見ると、たとえ預金先の銀行が破綻しても1000万円までは政府が元本の返済を保証してくれる預金は安全確実な貯蓄で、株や債券や投資信託の持ち分などの特定の金融商品が値上がりすることを期待して買うのは投資と、はっきりわかれて見える。しかし、企業の眼から見れば、今年のうちに使い切ってしまわずに、来年以降の生産拡大のために取っておく経済資源はすべて投資だ。

そして、個人が自分の資産を貯蓄と投資にどう振り分けるかと、企業がどの程度積極的に投資を行うかには、直接の関係はない。個人がどんなに大きく貯蓄から投資に比重を移したところで、それによって企業が投資に積極的になるわけではない。実体経済の根拠のとぼしい金融商品の値上がり、すなわちバブルが生じるだけだ。一方、企業が大きな投資チャンスを感じれば、その企業は銀行その他から借金をしてでも投資を拡大する。

個人が、「自分が保守的な貯蓄から積極的な投資に切り替えれば、それだけで経済は活性化し、日本のGDP成長率は上がる」と考えるのは、幻想だ。自分は損失が生じるのイヤだが、日本経済活性化のために、ひとつ投資をやってみようか」などと使命感に駆られる必要はない。基本的に「損失が生じるのは嫌いだ」という人は、一生投資とは無縁の生活をしていても、全然問題はない。

さて、前置きが長くなったが、よく見かける投資本の中から、比較的最近出た新書で大きな本屋や新古書店などで手にしやすく、おもしろそうなタイトルの本、4冊を読み比べてみた。その結果を以下にご報告しよう。なお、敬称はすべて略させていただいた。( )内の引用ページは、各項目のタイトルとなった本のページを示している。

 

その1


荻原博子『投資なんか、おやめなさい』(2017年、新潮新書)


 ↑商品ページのリンクになっています。


 

著者荻原博子はまだ金融ジャーナリストという仕事は、大手銀行・生損保ににらまれるようなことを書いたらなかなか仕事にありつけないので、彼らのご機嫌をうかがいながら書くという人が多かった時代に、勇敢にも「生命保険不要論」を主張して注目された人だ。この本でも、いろいろふつうの業界で大手企業がやったら、監督官庁からおしかりを受けるような危ない商品を融機関は平然と売っていることを暴露している。しかも、必要な場合はその金融機関名も、具体的な商品名もズバリそのままなのだから、読んでいるほうとしては小気味がよい

たとえば、「20002月に、野村證券が100周年記念で……知能の粋を集めたという触れ込みで売り出し、1兆円もの資金を集め」た「ノムラ日本株戦略ファンド」について、「販売当初から基準価額が落ち始め、2年で投資した額の4割にまで目減りしてしまいました。……多くの人が損を承知でやめていったわけですが、我慢しているあいだは維持費を取られ、やめていくときには解約手数料……を取られています

 この投資信託では、大損した人が多かったものの、野村證券だけは買った人からも続けている人からもやめる人からも手数料をもらうだけなので、ノーリスクでいまだに儲けつづけています」。(8789ページ

もうだいぶ昔の話なので、お忘れの方もいらっしゃるかもしれないが、2000年になると日本ではハイテク・バブルとかITバブルとか呼ばれ、本家アメリカではドットコム・バブルと呼ばれていた情報通信・コンピュータサービス関連企業の株価がいつはじけ飛んでもおかしくないほど値上がりしていた。1989年末から90年年初にかけてのバブル崩壊以降、低調だった日本株さえも90年代末にはバブル傾向を示していたそういう時期に、投資環境より自社の創業100年のほうを優先して、大量の資金を一気に投入したのだから、自分の買いで上がってしまった株価がアメリカのバブル崩壊とともに暴落するのは、わかりきった話その意味で、こだましのあくどさより運用の拙劣さを責めるべき事件かもしれない。

ただ、著者が大手金融機関にゴマをする気などまったくない気骨のある人だということは、お分かりいただけるだろう。もちろん、優遇金利付き劣後債とか、毎月分配型投信とか、豪華プレゼント付き投資信託外貨建て預金というような、正真正銘、初めから客をだまして自分たちはたっぷり手数料を稼ぎ、リスクは全部客に負わせる商品のからくりも、ていねいに、しかもあんまり専門用語を使わず、平易な日本語で解説してくれる

さてそれではこの本は、ほんとうに投資なんか、おやめなさい」と主張している本なのかというと、じつは古風な「投資の王道」を推奨する本なのだつまり「自分がこれと思った会社の株を1つ買ってみる。それが『投資』を理解する早道です……その株が上がれば嬉しいですが、株ですから下がることもある。100万円で買った株が50万円になったときに、『しめしめ安くなったぞ。あと100万円出せば今度は2株買える』と思える人は、『投資』向きかもしれません。けれど、『50万円も損をしてしまった。』と寝込んでしまうような人は『投資』には向いていませんから、50万円は勉強代だと思ってさっさと株を売り、二度と『投資』などしないほうがいいでしょう」。(219220ページ)

問題は、現在の株式市場が、まだ世間に発見されていない有望株という「眠れる森の美女」と、あなたという白馬に乗った王子様が幸福な出会いを遂げることができる場所かということだ。私は残念ながら、もうそういう時代ではないと思う。未上場株ファンドとか、ベンチャーキャピタルとかいう連中が、ほんのちょっとでも有望そうな企業を大量の資金で買いあさって、そのうち9割は破綻、78%はかろうじて営業活動を続けられる程度でも、23%が高値で公開売り出しIPOをして上場にこぎつけさえすれば十分儲かるというビジネスモデルで動いているからだ。

だから、今の世の中でも、新規公開株として売り出され、流通市場で取され始めばか企業は、有望であればあるほどすでに割高になっている可能性が高いと思う。株を買うよりは、細々とクラウドファンディングで資金を募っているまったく名前を聞いたこともないような企業がどんな仕事をしているのか調べてみて、気に入ったら出資るぐらいの小額投資のほうが初めから割高になっている株式市場で流通し始めた株よりはまだしも将来の楽しみがあると思う。

荻原の名誉のために言い添えておくと、彼女は新規公開株とはひとことも言っていない。もちろん、何年、何十年も前に上場したが、あまり人気にもならずにひっそりと営業活動を続けている企業があって、調べてみたら意外に明るい将来展望が開けていることがわかったというような話だって、あり得ないことではない。ただ、どの程度の確率でそういう幸運な出会いがあるかというと、首をひねらざるを得ない。

それくらいなら、いっそ割高を承知の上で、あらゆる新規公開株を1単元(売買できる最小単位のこと、株価に応じて1株のことも、100株のことも、1000株のこともある)つ買って、23営業日のうちに100%とか200%とか派手に値上がりすることはあっても、それだけ短期間に株価がゼロになりはしないと腹をくくって、値動きに関係なくとにかく3営業日目か4営業日目には売り払うという手もある。これと似た発想で、明らかにバブルの兆候を示している株を買って、上がっているうちは持ちつづけるが、ピークから3%とか、5%とか初めから決めておいた率の値下がりを確認したら即売るという、ちょっと、いや大いにギャンブルっぽい投資法を、堂々と推奨している本がある。そちらに話を移そう。

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